ペリカン時代で藤本義一著『生きいそぎの記』(講談社文庫)を受けとる。NEGIさんに借りた本。
表題作は若き日の藤本義一が『幕末太陽伝』などの作品で知られる川島雄三監督のもとで仕事をしていたころの話である。
撮影所で募集の告知を見て、川島監督のところを訪れる。
志望を聞かれ、シナリオライターですというと、川島監督は「支那料理屋ねえ、う、ふっ、ふぁ」と冗談をいったあと、こんなことを語る。
《人間の思考を、今、仮に百とします。思考を言葉にすると百の十分の一の十です。その言葉を文字にすると、そのまた十分の一です。思考の百分の一が文字です。文字で飯を食っていくには、せめて、思考の百分の二、いや、一・五ぐらいの表現が出来ないことには失格です。わかりますか、君は……》
『藤本義一の軽口浮世ばなし』(旺文社文庫)でも、同じ話を書いているのだが、この部分を確認したかったのである。
『軽口浮世ばなし』では、次のように語っている。
《普通の人は、言葉の十分の一を文字として表現するわけです。わかりますか。しかし、プロは、それが許されないのですよ。思考の一パーセントの文字では、プロフェッショナルにはならないのです》
思考を文字に移しかえる割合が一パーセントか一・五パーセントか。それがプロとアマの意識の差なのである。この〇・五%をどう伸ばすか。それ以前に、その差に気づくことができるか。
考えていることを文章にするとき、九九パーセントは文字にできない。そして一パーセントの文字ですら、まちがえてしまう。
藤本義一は「プロというのは『いやなことをすすんでやるから好きなことが出来る男である』ということ」と記している。そのことに気づいたのは、二十五歳のときだった。三十代ではすこし遅いと……。