前にも書いた話なのだが、『藤本義一の軽口浮世ばなし』(旺文社文庫)の中にわたしのものすごく好きなエピソードがある。
映画監督の衣笠貞之助が、仕事の労をねぎらうために若き日の藤本義一に「役者馬鹿ってことがあるが、なにかひとつを通したなら、人間、馬鹿と呼ばれるまでになりなさい。たったひとつのことが出来ればいいじゃないか。他人には絶対に出来ないことが。そうでしょう。あいつでなくては出来ないということがあれば、それが人生の価値ですよ」といった。
衣笠監督の言葉に感動した藤本義一は何とかお礼の気持を伝えようと「先生、風呂で背中を流させて下さいませんか」と申し出る。
たぶん衣笠監督は「こいつ、バカだなあ」と喜んだのではないか。
あと別のところで「泥のなかから素手で掴む」という言葉も出てくる。
《泥にまみれるという言葉があるけれども、知らず識らずの裡に泥にまみれて方角がわからなくなるのは中年以降の生き方であり、二十代は、自らが泥にまみれようと意識することからはじまらなくてはいけないように思うのだ。
奪われるものがないから、自分の素手で掴もうとすることすべてが、自分の血となり肉となるような気がするのである》(「プロフェッショナルの意識」/同書)
二十代にかぎらず、フリーの仕事を続けていくためには、泥にまみれて、素手で掴む感覚が必要な気がする。価値基準が何もない混沌とした世界に潜り溺れながら何かを掴みたい。でもしょっちゅうその気持は弱ってくる。
『藤本義一の軽口浮世ばなし』では、プロとアマの差について語った話もおもしろい。読み返すたびに唸ってしまう。
今、藤本義一著『生きいそぎの記』(講談社文庫)を探している。おもいのほか古書価が上がっていておどろいた。