2018/08/17

色川武大、志摩に行く

 十四日から十六日の三日間で四十時間くらい寝ていた。睡眠時間以外もほぼ横になっていた。熱はないが、すこし咽が痛くて、首と背中がこっている。夏風邪ですな。
 風邪をひいたときは珈琲が飲めなくなる(ふだんは一日四、五杯飲む)。からだが楽になって、もう治ったかなとおもっても、珈琲が飲みたくないときは、すこし寝て起きると、やっぱり風邪のかんじが残っている。とくに起きぬけ一時間がきつい。風邪のせいとわかっていても、心が弱って自分の将来を悲観しまくってしまう。
 風邪が治ったかどうかは、珈琲が飲みたくなるかどうかでわかる。珈琲は健康じゃないとおいしくない飲み物なのだ。

 今日は風邪がぬけた感覚があったので、コンビニ(ファミリーマート)のコーヒーを飲んでみた(たまに飲みたくなる)。だいたい七十二時間休むと回復する。

 病中、色川武大がどこかに愛知県の渥美半島の伊良湖から三重県の鳥羽に船でわたる話を書いていたなと本棚をあさっていたら『引越貧乏』(新潮文庫)の「暴飲暴食」にあった。ただし、未遂。
 色川武大が東京から鳥羽か伊勢行き、そこから和歌山に行く旅の計画を立てる。和歌山に色川と名のつく村があり、以前から行きたいとおもっていた。その話を聞いた逐琢(ちくたく)が「俺も行く」といいだす。逐琢は鳥羽の奥のほうの村の生まれで学校を出たりやめたり入ったりを四十歳くらいまでくりかえし、四、五ケ国語をよくする同人雑誌仲間である。

《「——行き方に二通りあるんだ。どっちにするかね。豊橋でおりて、渥美半島の尖端まで行き、そこからフェリーで鳥羽に渡る」
「なにィ——」
「名古屋まで新幹線で行って、近鉄の特急に乗りかえて、伊勢市か鳥羽でおりる。——おい、どうしたんだ」》

 さらに「急ぐ旅じゃァないだろ。お互い休暇のつもりだ。伊勢に泊ろうと渥美に泊ろうと、泊るというだけのことさ。——渥美半島はいいところらしいぜ。ところが俺は一度もそのコースで帰ったことがないんだ」と逐琢。結局、豊橋ではなく、名古屋までの新幹線の切符を買い、船で鳥羽にわたる話はうやむやになる。
「暴飲暴食」では、鳥羽に行く途中、松阪で下車、ステーキを食い、鳥羽で海の幸を食いまくる。さらに赤福も食べる。その後、鳥羽から逐琢の郷里の奥志摩へ。どこだろうとおもったら船越という土地だった。チャーターした車の運転手は「昔は船でしか行けんかった一帯ですがね。よう開けたもんですわ」と説明する。

 わたしの母は志摩の生まれで子どものころよく行っていたのだが、船越のほうには行ったことがない。すこしはなれたところに深谷水路という太平洋と英虞湾を結ぶ運河がある。いつか行ってみたい。
 鳥羽滞在後、ふたりは和歌山を訪れる。新宮駅に降り、レストランに入った途端、店に出入りする老若男女の顔つきに自分の顔に似ているとおもう。色川武大の顔はほりが深く、目鼻立ちがはっきりしている。若いころはハンサムだった。

《「おそろしいものだねえ、俺は生まれてはじめて、自分の国へ来たという感じがする」》

『引越貧乏』は色川武大が五十歳になって書きはじめた連作なのだが、そのくらいの齢になると自分のルーツのようなものが気になりだすのか。

 先日、母から祖母と叔母が暮していた志摩の家は取り壊しが決まったと電話があった。元気なうちに行きたいところ行っておかないと……と病み上がりの頭で決意した。