2018/08/26

井伏鱒二と甲州

 日曜日、西部古書会館。街道と宿場関係の本を手あたりしだいに買う。十五冊。山梨関係の本も買う。三千円。一冊平均二百円。今、古道まで研究の範囲を広げるかどうか迷っている。古代史までいくと収拾がつかなくなりそうだが、街道沿いは古墳も多いのだ。

 井伏鱒二著『太宰治』(中公文庫)を読んでいたら「甲府」「甲州」という言葉が頻出する。井伏鱒二は、深沢七郎との対談でも余生を甲府で釣り(隠居釣り)をして過ごしたいというようなことを語っていた。太宰治も一時期、甲府で暮していた。太宰作品の中でわたしは「十五年間」という作品が好きなのだが、とくに印象に残っているのが次の部分だ。

《私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃から湯豆腐でお酒を悠々と飲んでいたあの頃である。誰に気がねも要らなかった》

 初出は一九四六年四月。『グッド・バイ』(新潮文庫)に所収。後半、支離滅裂になる。そこもいい。

 わたしは高円寺という町が好きだし、できることならずっとこの町で暮らし続けたい。といっても、お金がないと東京生活はきつい。都内で高円寺以外の場所に住む気がない。高円寺を離れるなら東京の外に出たい。
 その候補地のひとつは山梨だ。移住するかどうかはさておき、高円寺から各駅電車で二時間——都心と逆方向に向かう電車だから空いていて、のんびり行けるのもいい。

 井伏鱒二の『太宰治』に「点滴」という随筆が収録されている。

《甲府に疎開していたその友人は、甲府の町が戦災にあうまで一年あまり甲府の町はずれにいた。そのころ私も甲府市外に疎開していた関係から、よく甲府の町に出かけて梅ヶ枝という宿屋へ夕飯を食べに行った》

《彼の死後、私は魚釣にますます興味を持つようになった。ヤマメの密漁にさえも行きかねないほどである。甲州の谷川が私の釣場所になった》

 その友人、彼は太宰治ですね。井伏鱒二が疎開していたのは、たしか石和温泉のちかくだったとおもう。