金曜日、久しぶりに東京古書会館。岸井良衞著『街道散策』(毎日新聞社、一九七五年)など、街道本たくさん買う。そのあと神保町の某古書店で『東海道宿駅設置四〇〇年記念 歴史の道〜東海道〜』(豊橋市美術博物館、二〇〇一年)を見つける。この一冊だけで古書会館で買った十冊分と同じくらいの値段だったが、買う。
最近、アマゾンの中古本で値段は「一円」で送料が「千八百円」という表示の仕方をよく見かける。「引っかけてやろう」という意図をかんじる。どんなにほしい本でもそういう出品者からは買いたくない。
話は変わるが、大岡昇平の『小林秀雄』(中公文庫)を読んでいたら「江藤淳『小林秀雄』」というエッセイの中にこんな文章があった。
《わたしは小林の無名時代の断片を偶然持っていたので、その一部を氏にまかせた。わたし自身、いつか小林論を書くつもりであったが、ほかに仕事を持っているので、いつのことになるのかわからない。資料をいつまでも死蔵しておくのは、小林秀雄が共通の文化財産になりつつあるこんにち、公正ではないのではないか、という自責を感じることがあった》
文中の「氏」は江藤淳のこと。さらっと書いてあるが、自分が大岡昇平の立場だったら、おそらく世に出回っていない貴重な資料を若い書き手に託せるだろうか。
初出は一九六二年一月の『朝日ジャーナル』。大岡昇平五十二歳、江藤淳二十九歳だった。
あと何年今の仕事を続けられるのかと考えたとき、使わないまま死蔵してしまいそうな資料をどうしたものかと悩む。すでにこの先仕事につながりそうにないジャンルの本は整理してしまった。古本の世界に本を戻す。まわり回って誰かの手元に届く。それでいいのではないか。
これまで集めた本を残しながら、新しい分野に取り組むのはむずかしい。ただし、こうした制約はかならずしもマイナスではない。制約があるから絞り込む必要が生じ、限られた時間の中でやりたいことが見えてくる……ということもある。
そんなことをおもいつつ、土曜日、西部古書会館に行った。