昨日の昼すぎ、西荻窪。音羽館に寄ってから、北口をまっすぐ歩いて青梅街道。
中西慶爾著『青梅街道』(木耳社、一九八二年)を読んでいたら、急に歩きたくなった。中西慶爾には他にも『甲州街道』『巡歴中山道』(いずれも木耳社)という街道本がある。
中野から荻窪くらいまでの青梅街道はよく歩いている。でも荻窪から先はよく知らない。
西荻窪〜荻窪間は、まいばすけっと(イオン系の小型スーパーマーケット)がたくさんある。
荻窪方面に向かって歩いていると荻窪八幡神社があり、その少し先に本屋Titleがある。Titleで太陽の地図帖『日本の古道を歩く』(平凡社)を買い、コーヒーを飲む。『日本の古道を歩く』は、今年の夏に歩いた「伊勢本街道」も出てくる。伊勢奥津の街道、雲出川が素晴らしく、土の道も残っている(伊勢奥津のことは次号の『フライの雑誌』に書いた)。
さらに少し歩くと青梅街道と環状八号線が交差する四面道(しめんどう)にたどりつく。
『青梅街道』によると「四面道だが、土地っ子は“しめんと”という。(中略)井伏鱒二は“青梅街道のヘソ”という。車の渋滞で名高い喧騒の地である」そうだ。井伏鱒二は四面道の北(清水町一丁目)に住んでいた。井伏鱒二旧宅は十年くらい前に見に行ったことがある。
この四面道を環八に沿って中央線の線路方向に歩くと慈雲山光明院(通称・荻寺)があると『青梅街道』に記されていた。
《作家上林暁はこの寺近くの旅館に仕事部屋を構え、佳作「光明院の鐘の音」(昭和二十九年)などを書いた》
光明院に行ってみると線路のすぐそば。お寺の前を中央線(快速)が走る。光明院ガード(トンネルっぽい)を抜けると、北口から南口に抜けることができる。近くまでは来たことがあったのに、このガードは知らなかった。中央線の荻窪界隈、まだまだ知らないことだらけだ。
タウンセブンではまちの寿司(オリーブはまち?)、ザ・ガーデンで焼きさばの瓶詰などを買い、家に帰る。夜、仕事にとりかかるのも睡魔が……。
(追記)
井伏鱒二著『荻窪風土記』(新潮文庫)には「四面道は青梅街道のへそのようなもので、その常夜燈は荻窪八丁通りのトーテムのようなものであったろう」と記されている。