2018/09/21

雑記

 東京メトロの半蔵門線で神保町から九段下で東西線に乗り換え、中野駅で降りて、ブックファースト中野店に寄る。あおい書店がブックファーストになったのはいつだったか。今、調べたら、昨年九月にあおい書店の中野本店が閉店――十一月二一日にリニューアルし、ブックファースト中野店になったようだ。
 中野の南口の文房具店でパラフィン紙を買う。一枚五十円。高いなとおもったら、いつもの倍の大きさだった。青梅街道を歩いて高円寺に帰る。古本のパラフィンがけと雑誌のスクラップ、資料の整理と掃除に明け暮れる。

 街道の研究(?)をはじめて資料が増えた。本以外にも観光案内所でもらえるマップを街道と宿場ごとにファイリングする。過去に旅先で手に入れた紙ものは、ほとんど捨てた。紀行関係の本もけっこう手放した。残しておけばよかったと悔やむ。

 掃除中、三輪要、木継鳥夫編『全国各駅停車の旅 鉄道唱歌とともに』(金園社、一九七七年刊)が出てきた。たぶん二十年以上前に買った本だろう。目次を見たら「東海道」「山陽道」「上州路」「信濃・越後・北陸路」「甲斐・木曽路」といったかんじで街道ごとの編集になっている。まったくおぼえてなかった。

 最近読んだ本では日本随筆紀行の12巻(愛知/岐阜/三重)の『東海に朝日が昇る』(作品社、一九八七年)がおもしろかった。
 愛知岐阜三重は「東海三県」といわれているが、「愛三岐」という略称もある。

 ルポライターの丸山邦男の「鈴鹿 クルマが支配する町」というノンフィクションも収録されている。この手の本で鈴鹿に関する文章が入っているのは珍しい。

 最近、渥美半島の伊良湖のことを何度か書いたが、この本では丸山薫が「伊良湖岬」のことを書いている。

《私の父は、九州熊本の出身だったが、母は、私がいま住んでいる豊橋市にほど近い、渥美半島田原という城下町の出身だった。だから、出身の元をただせば私もまた半分は愛知県三河の人間であり、渥美半島の突端に至る伊良湖岬にも、まんざら無縁ではない筈なのである》

 長年、河原淳の著作を愛読している。中でも『体験的フリーライター案内』(ダヴィッド社、一九八一年)は座右の書である。
 十九歳、かけだしのライターのころ、古本屋で見つけた。読んで眩暈がした。フリーライターとしてやっていくには、これほど膨大な知識が必要なのかと……。
 丸山薫の名前を知ったのもこの本だ。今、パラパラと読み返したら、デザインの話でウィリアム・モリスを紹介していた。当時のわたしには知らない固有名詞だらけの本だった。

 話を戻そう。大学時代、河原淳は結核になった。

《故郷に帰り、知多半島にある国立療養所に入った》

《療養所には、いろんなサークルがあった。私は『誘蛾燈』という詩の同人誌に参加していた。豊橋在住の丸山薫氏が選者で、拙作もいくたびか載った》

 わたしは河原淳によって「丸山薫=豊橋」とインプットされていた。
『東海に朝日が昇る』を読み、そのことをおもいだした。何でも読んでおくものだ。