2018/09/22

人生と道草

 二十代のころのわたしは、私小説と詩とアナキズムが好きなフリーライターだった。さりげなく過去形にしてみたけど、今もそうだ。
 当時、自分の書きたいことを持て余していて、どうやって形にしていいのかわからなかった。

 先日、南陀楼綾繁さんの新刊記念の西荻ブックマークで『sumus』の話になり、三十歳前後のときのことをいろいろおもいだした。
 何を書いていいのかわからなくなっていた時期に、好きなことをを書いてもいいという場所があったのはありがたかった。

 自分がおもしろいと信じるものを書く。それが伝わらなかったら書き方を変える。それでも伝わらなかったら、わかってくれる奇特な人を探す。

 一九九〇年代の商業誌では主観を入れない文章を書くことを奨励する編集者が多かった。
 自分の書いた文章が活字になるだけで嬉しい時期や「てにをは」がめちゃくちゃな時期にはそういう仕事をするのも有意義だろう。資料代や取材費を稼ぐためと割り切っている同業者もいた。
 ところが、五年十年と続けているうちに雑誌の枠からはみだしたものが書けなくなる。そういう癖がついてしまう。

 フォーマットから逸脱する意志を持続させるのはむずかしい。

『人生と道草』(旅と思索社)という雑誌がある。第3号の特集は「いざ! ヨバツカ!」。こんなにおもしろい雑誌を知らなかったのは不覚だ。

 BGM代わりに流していたラジオから渋滞情報が聞こえてくる。
「『ヨバツカ』交差点、流れが悪くなっています……」
 何度も聞いたことがある「ヨバツカ」という地名——しかし、どこにあるのかわからない。
 ならば、調べる。そして行く。あとはひたすら歩く。道草、寄り道、脱線。

《地図やナビに極力頼らず、知らない土地を歩きながら、だんだんとその地形やランドマークを理解し、自分の頭の中の真っ白な地図に描き込んでいくことは、わたしにとって楽しい旅の作業だ》

 おそらく自分の勘と好奇心だけを頼りに書いている。写真もいい。
 わたしはそういう文章を読むのがすごく好きだ。街道の話も出てくる。『人生と道草』のバックナンバーを注文した。
 それから「神田でいちばん小さなひとり出版社〜「旅と思索社」代表・廣岡一昭のブログ」を読んだ。プロフィールを見たら、一九七〇年生まれ。しかも元フリーターで職を転々している。

 旅と思索社は二〇一四年五月一日に創設。その経営理念も素晴らしい。

《旅に生きる。まだ知らない新しい世界を探しに行こう。
 夢に生きる。誰もがあきらめてしまったことに挑戦しよう》