2018/03/06

アワの一粒

 尾崎一雄の『沢がに』(皆美社)は、もともと署名なしの本を持っていたのだが、七、八年前に署名本を見つけ、買い直した。どこで買ったのかは忘れてしまった。この本の「生きる」という随筆が好きで、何度読み返しているかわからない。

《巨大な空間と時間の面に、一瞬浮んだアワの一粒に過ぎない私だが、私にとってはこの世こそかけ換えのない時空である。いつの世でも、いろんなさまたげがあってそうはいかないけれど、すべての生きものは、生まれたからには精いっぱい充実した時をかさね、やがて定命がきて自然と朽ちるようにこの世を去りたいものだ》

 尾崎一雄の小説や随筆は、ほとんど身辺の話を材にとっているのだが、そこから時空や宇宙、あるいは自然の話に飛ぶ。
 自分という「点」を掘り下げながら、同時に巨大な「面」「空間」を書く。

 自分のことばかり考えると、どんどん狭い穴に落ちていく気分になる。でもそんな自分も「巨大な空間と時間」の中では「アワの一粒」にすぎない。そう考えると、人とはちがうやり方だろうが何だろうが「とりあえず、生きてりゃいい」とおもえてくる。

 若いころから、わたしは「ふつう」に生きるのがしんどかった。むしろ若いころのほうがつらかった。朝起きることができないし、午前中は、ほぼ調子がよくない。いまだに人ごみが苦手で、周囲と足並を揃えようとすると、それだけで疲れてしまう。
 今も同じだ。ただし五十歳ちかくまでどうにかこうにかやってきた。
 平均からはズレた生き方かもしれないが、休み休みでも十年二十年三十年と続けていれば、自分なりの道ができてくる。
 そういう生き方があるということを尾崎一雄から学んだ。