起きたら、霙。寒い。ようやく春らしくなってきたとおもったのに。
数日前から寝つきがよくなくて、毎日睡眠時間がズレる。季節の変わり目はよくそうなる。
東京市外杉並町高圓寺六六九。『新居格創作集 月夜の喫煙』(解放社、大正十五年刊)の巻末に記されていた新居格の住所だ。発行者は、山崎今朝彌である。山崎今朝彌は、アナキストの岩佐作太郎や幸徳秋水とも親交があった弁護士で、学生時代、玉川信明さんの大正思想史研究会でその名前をちょくちょく聞いていた。
『月夜の喫煙』も冒頭の「作者の言葉」があいかわらず素晴らしい。わたしは新居格の「まえがき」が大好きである。あと題名もいいとおもう。
《これはいづれもわたしの心にひそむ感情の投射である。私は作家ではない。だが、私には人生を——それがかなりつまらないものであつても、——人生的に見ようとする傾向が少し計りある。それがこうしたものを書かせたのだ。私は私の書いたどの作品にたいしても大した自信は持てぬ、また持たうなぞと思はない》
《私は私のかきたいと思ふことを書いた計りだ。それでいゝのか、いけないのかは懸念しない、よくても、わるくても仕方がない。こんなのが私の作品、そしてそれだけが作者としての言葉》
新居格の本は一貫して「自分は自分の書きたいものを書いただけだ」というようなことが記されている。新居格の本を読むたびに、そうした文章を目にする。
《地底から清水が湧き出すとでも云ひたひやうに、物事をほんとうに考へることの出来る明澄さが心の奥底から浮び上がつてくるやうな気がした。そのこころが考へる、そしてさびしい》(月夜の喫煙)
「そしてさびしい」が唐突でおかしい。