渡辺京二著『原発とジャングル』(晶文社)を読みはじめる。「私は何になりたかったか」を読んで唸る。
《私はまず人間でありたかったので、編集者であれ教師であれ、そういう者として自分を専門化、職業人化する気は一切なかった。人間であるというのは、私の場合、一生本を読みものを書くということで、言うなれば書生で一貫したのが私の一生、お笑い草ながら女性に奉仕するという一事をつけ加えれば、それが私の一生のすべてだった》
渡辺京二さんの本を読みはじめたのは、二〇一一年ごろで、今は高松にいる福田賢治さんと高円寺のコクテイルで飲んでいたとき、すすめてくれた。
ここ数年、まとまった時間、読書をすることができなくなった。仕事の合間に読む。だから読むのは短いエッセイやコラム、短篇ばかり——それすら満足な量を読めていない。
自分が必要とする本に出会うためには、読書の時間だけでなく、遊びの時間もいる。読みながら考え、考えながら生活し、生活しながら読む。そして書く。そうありたいとおもいつつ、その余裕がない。
この本の中に「頼りになるのはただ習慣だ」という一文もあった。やはり、習慣を見直すしかないのか。
今月末に上原隆著『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書)が刊行予定。この本も愉しみだ。すこし前に『「普通の人」の哲学 鶴見俊輔・態度の思想からの冒険』(毎日新聞社、一九九〇年)を読み返した。この本でも上原さんは『君たちはどう生きるか』について論じている。