年末年始は郷里の三重ですごした。あらためて地方の町は、車がないと不便だなとおもう。車で移動することを前提として町が出来上がっている。
大晦日、鈴鹿ハンターに行って、衣類、酒、刺身、だし巻き卵、あられなどを買う。父の本棚をゆっくり見ていたら、青木雨彦の本がけっこうあった。知らない言葉や人名をメモした紙がはさまっている。母が転んで手を怪我していたので、わたしが雑煮を作る。
昨年から旅先にキンドルを持っていくようになった。インターネットに接続して、地図と時刻表を見ることができる。元旦、お店が営業しているかどうかもわかる。ひさしぶりにマックスバリュに行く。
二日、夕方、名鉄百貨店のデパ地下に寄ってから、東京に帰ろうとしたら、新幹線が一時間以上遅延。エスカで珈琲を飲んで、時間をつぶす。
つかだま書房の新刊、後藤明生の『壁の中』を昨年からスローペースで読みはじめている。『海』の一九七九年一月号から一九八四年五月号まで連載、それから『中央公論 文芸特集』一九八五年夏季号に掲載——後藤明生が、四十六歳から五十三歳にかけて書いた長篇小説である。
日々の仕事があることはありがたいことだが、それだけ時間は細切れになる。長篇小説や巻数の多い漫画を一気に読むのが、年々むずかしくなっている。
仮に年三百冊として、十年で三千冊、二十年で六千冊、三十年で九千冊……。仕事で読む本と趣味で読む本の比率は、半々くらいが理想なのだが、なかなかそういうわけにもいかない。
フリーランスで仕事を続けていくためには、平均ではダメだとおもっている。もちろん、平均以下だと話にならない。
何をやるにせよ、同業者の平均の一・五倍か二倍のことをやって、ようやく抜け出せる。何を一・五倍、二倍やるかは、人によってちがう。平均以上のことをやっていても、楽に暮らせるわけではない。そんなことを新年早々考えていた。