2018/01/27

鈴鹿の文学

 高井有一著『塵の都に』(講談社、一九八八年刊)は、明治の文士・齋藤緑雨について書いた“現代小説”である。「私」は新聞社勤めで三重の津支局長をしていたころ、緑雨の生誕地の鈴鹿に住む人物と知り合い……。「私」の経歴は、作家本人と近いのだが、微妙にちがう。

 昨年あたりから郷土文学の本を立て続けに読み、鈴鹿や津が舞台の小説として『塵の都に』を知った。二十代半ばから三十代半ばにかけて、わたしは高井有一さんに何度かお会いしている。ほぼ酒の席だったが、昔の同人誌や文学者の集まりのことを聞くと、いつも穏やかな笑顔で答えてくれた。そのとき『塵の都に』の話ができなかったのが悔やまれる。

 この小説の後記に「近鉄鈴鹿市駅を降りて歩き出すのとほぼ同時に雨が落ちて来て、みるみる激しくなつた。私は商店街の傘屋に入つて、折畳みの傘を一本買ひ、ついでに『龍光寺はどつちになりますか』と訊ねた」とある。

 龍光寺は、三重にいたころの齋藤家の菩提寺である。子どものころ、わたしは春になると龍光寺の寝釈迦祭りによく行った。高井さんの小説の中に、なじみのある寺の名が出てくるとはおもわなかった。
 近鉄の鈴鹿市駅近辺は寺社町でわたしの父の墓も龍光寺のすぐそばの寺にある。父と母はこのあたりをしょっちゅう散歩していた。
 緑雨は鈴鹿出身の文人だが、地元ではあまり知られていない。『塵の都に』が刊行された一九八八年——まだわたしは鈴鹿にいたのだが、緑雨の名を知ったのは上京後だ(山本夏彦のコラムで知った)。
 緑雨は鈴鹿生まれで明治法律学校(現在の明治大学)を中退し、文筆家になった。ちなみに、わたしも鈴鹿出身で明治大学を中退し、雑文書きになった。いつか緑雨を研究したいとおもいつつ、何もしていない。