2018/07/23

庄野の白雨

 広重の「庄野の白雨」は、東海道沿いではなく、加佐登神社に行く途中なのではないかと書いたが、わたしの第一感はそうではなかった。
 庄野宿の近辺というより、亀山宿に近い場所かなともおもったんですね。それなら坂はいくらでもある。

『世界名画全集 別巻 広重 東海道五十三次』(平凡社)の庄野に関する記述には、「ここは石薬師より鈴鹿川べりに出て、しばらくさかのぼると着く、わびしい部落である。ただこの地から東十町ばかりの所にある白鳥塚は、日本武尊の陵として有名である」というものもある。
 そんな「わびしい部落」である庄野宿に来た人が、地元の人に「このへんの見どころは?」と訊く。たぶん地元の人は、白鳥塚か加佐登神社と答えるだろう。
 で、「じゃあ、行ってみるか」と坂を登っていたら急に雨が降ってきた。「庄野の白雨」はそういう絵なのではないか。あくまでも想像ですが。

 宮川重信著『新・東海道五十三次 平成から江戸を見る』(東洋出版、二〇〇〇年刊)は、日本橋から三条大橋まで自転車で九日間の旅を記した本である。庄野に関しては「石薬師の家並みを抜けると、上野一里塚があり、そこから田んぼのなかの道を緩く曲がりながら行くと、やがて国道一号線に出る。国道はすぐ、JR関西線を越し、その先、鈴鹿川の支流の一つ、芥川に架かる宮戸橋へと来る」と紹介している。

 加佐登駅の前には日本コンクリートの工場がある。

《私がこの場所に特別関心をもっているのは、あの広重の『東海道五十三次』の浮世絵のなかで最高の傑作といわれる「庄野の白雨」の題材になったところだからである》

《私のいるこの場所を描いたという、その広重の絵は、竹の生い茂る急な坂道で、突然の雨に見舞われた人々が、雨宿りを求め、あわてて駆け出した構図である。(中略)絵を見るかぎり、どこの山中かと思うほど寂しい場所で、かりに、このコンクリートの工場がないとしても、ここを広重の絵に重ねるのは難しい気がした》

「庄野の白雨」を知り、庄野宿を訪れた人は、あまりの景色のちがいに困惑するようだ。
 宮川さんは「昔と今では地形も変化したかもしれない」とも述べている。

 庄野宿資料館による「庄野ふれあい探訪マップ」にも「庄野の白雨」が「題材になったところは、宮戸橋付近(日本コンクリート側)で芥川の土橋をわたり、鈴鹿川堤防に沿ってゆるやかに左にカーブするあたり、という説がある」と記されている。
 もっとも広重、現地に行って描いていない説もあるので、そもそも題材の場所が実在するのかどうかはわからない。

 地元出身者からすると、隷書東海道の「庄野」の絵(平坦な道で焚火している)がいちばん近い気がする。