2018/07/05

六十点主義について

 五年くらい前に刊行された本だけど、福満しげゆきの『遠回りまみれの青春タイプの人』(青林工藝舎)は、若いフリーランスの人が読んでも参考になる本ではないかとおもっている。

 このエッセイ集は、漫画家になるまでの「遠回り」を僻みとユーモアまじりの文章で綴っている。結局、凡才がデビューするには、才能よりも工夫、そして数なのだ。もちろん、福満しげゆきは単なる凡才ではなく、絵も文章も非凡なんですけどね。

 絵がうまい人はいくらでもいる。おもしろい話を作る人もいる。でもずっとコンスタントに描き続けられる人は、あんまりいない。本書の「プレッシャーで、なかなか描き出せない人は、60%理論で」は、漫画にかぎらず、あらゆるジャンルに通じる凡才向けの優れた方法論だろう。

 福満さんはマンガの制作は「60点くらいの出来…」でいいという。

《100点をめざすデメリットは「なかなか作品が仕上がらない」ことです。逆に言えば「100点を目指しても作品がジャンジャン仕上がる人」は、全然目指してもいいのです》

「100点の原稿」を「1年半」かけて仕上げるよりも「60点の原稿」を同じ期間に4本描いたほうがいい。なぜなら前者の100点より、4本目の60点のほうが「上になる可能性がある」と——。

 わたしも『日常学事始』(本の雑誌社)で「家事は六十点主義でいい」という回を書いたのだが、この福満理論とほぼ同じである。

《今の自分の家事力で「頑張ったな」とおもえるレベルを百点とすれば、だいたい六十点くらいをキープできれば合格です。長年、家事をやっているうちに、すこし手抜きをおぼえ、楽になる。(中略)今は六十点くらいの手抜き料理ですら、昔の百点よりおいしいものが作れるようになった》

 完璧主義から脱却したほうが、長続きするし、上達も早い。

 わたしが「六十点」という言葉を意識するようになったのは、竹熊健太郎の『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)の「人生六十点主義」の影響もある。二十代半ばのわたしはこの考え方にものすごく感銘を受けた。

《ある分野でプロを自称するためには、少なくとも八十点はコンスタントに取らなければプロとはいえない。それには何年も苦しい訓練を積まねばならないが、六十点くらいなら、そこそこ頑張れば素人でも取れる。そしてここが肝心なのだが、プロの六十点はけなされても、素人の六十点は褒められるのである》

 そこで竹熊さんは「プロの素人」として戦う道を選ぶ。

「六十点でいい」というのは、六十点が最終目標ではない。六十点でいいから、その分、無理なく続けて数をこなす。
 毎回、六十点くらいのものを目指しているうちに、たまたま頭がさえていたり、体調がよかったりすると、(今の自分にとっての)百点といえるレベルのものができることもある。

 昨晩、家で作ったチャーハンがそれだった。