2008/10/15

さてさて

 月の湯の古本市と京都のメリーゴーランドの小さな古本市が終了。

 OKストアと肉のアンデスで食品の買出し。豚肉(バラ、肩)、鳥肉(もも)、卵、もやし、じゃがいも、にんじん、ほうれん草、玉ねぎ、ネギ、干しいたけと乾燥わかめが我が家の常備食(あと米と麺)。ほかの食材は、今日はいつもとちがうものを作ってみたいなおもうときに買う。そうおもうことは月に二、三回あるかどうかだけど。

 内堀弘さんの『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(ちくま文庫)を読む。この本を読んだ人は、誰もがそうおもうにちがいないけど、「文庫版のための少し長いあとがき」が、ほんとうにすばらしすぎる。あるひとつのジャンルをきわめた人にしか書けない、そういう文章なのだ。

 書きのこされなかったことを調べあげて書く。やれといわれてもできないし、できないことがわかっているからやらない。でもそういうことをする人の書いた本を読むことはできる。
 読んでそれを自分もそういう仕事がしたいかというと、やっぱり無理だなおもう。そうおもいつつ、自分には何ができるだろうと漠然と考える。

 さて、どうしよう。
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 ここ数年、ようやく本を読んだり、文章を書いたりすることが、仕事といえるようになってきた。それまではどこか趣味の延長あるいは現実逃避といったかんじだった。

 三十歳半ばくらい、体力落ちたなあ、集中力落ちたなあ、と自分のおとろえについて悩むようになったけど、逆に、若いときにはできなかったことでできるようになったこともある。
 たとえば、いろいろな人の力をあてにすること。昔のわたしはそういうことがまったくできなかった。もちろん、あてにされることも。

 将来どうしたいんだ、というようなことは、よくいわれるし、自分でも考えているつもりだが、半分くらい、なりゆきまかせでもいいかなと。残り半分。たぶん、それも考えたとおりにはならないとおもうが、とりあえず、そこは商売ぬきでもやると。半分じゃなくて、三分の一くらいか。

 さて、どうしたものか。