2008/06/01

まあよしとする

 飲みすぎた。反省。たぶん反省してもきっとまた飲みすぎる。まあいいでしょう。
 世の中には反省しない、反省は無意味だといいきる人がいる。そういいきれたら楽になれるのかなあとおもうが、まあいいでしょう。
 自分(の性格や生活)を変えたいとおもうことに意味はあるのかと考えることがある。
 結局、ちっとも変わってないじゃないか。つくづくおもうわけである。変わったか変わっていないか、そういうことはすぐにわからない。やっぱりすこしずつよくなったり、わるくなったりするような気がする。

 二十代の十年、東京の、中央線の、高円寺のような、物書きや漫画家やバンドマンや演劇人がゴロゴロいる町に住んで、毎日のように古本屋に通い、漫画喫茶にも何千時間と通い、部屋で友人と酒を飲みあかした。
 いいたいこといいあう。それでケンカになる。またいいたいことをいう。そのくりかえしだった。
 わたしはそのかんじが心地よかった。

 仕事の打ち合わせなどで、遠慮がちにしゃべったつもりのことが、かなり図々しい発言として受け取られてしまう。うーん、なんでだ。わからん。
 率直とか素直ということをいいことだと信じていた。自分が田舎にいたときは、そういうふうにふるまうことができなかったからだ。
 だから上京して、ひとり暮らしをしたとき、これからはもう周囲の目を気にしなくていいんだとおもった。好きなときに寝て、読みたい本を読んで、好きなだけ酒が飲める。
 お金はなかったから、それなりに制約はあったけど。
 そんな生活のおかげで、何に感動したり感激したりする気持を失わなくてすんだとおもっている。
 ほおっておくとそういう気持は弱ってくる。損得とか効率とかばかり考えていると、弱ってくる。もともとちまちました人間だからつい考えてしまう。ちまちました人間にありがちなことだが、けっこう計算は得意なのである。
 自分の得意なことは、正しいとおもってしまいがちだ。だからそのおもいこみを打ち砕いてくれるような人や作品に出合うと、うれしくなる。「ああ、つまらんなあ、オレは」と。

 無駄だなとおもうことはたくさんある。それをなくせば、もっとよりよく生きていけるのかもしれないが、無駄のない生活はおもしろいのかという疑問もある。

 文学や詩、音楽の効用。
 酒やタバコもそうかもしれない。

 飲みすぎた日、読まない本をたくさん買ってしまった日にいつもそうおもう。
 まあよしとしよう。