『想像力について』は、四十代後半の中村光夫が、まもなく五十歳になるというころに書いたものだ。中村光夫は逍遥、藤村以来の日本の近代文学を根本から考え直そうと試みていた。
《日本の近代文学も、その結果だけを見た人が単純に考えるように、今日僕等の眼前にある姿が予定されていたわけではない、それぞれの時代に多くの人々がおのおのの可能性を夢見、現実と闘った結果が、今日の軌道を描いているにすぎない。その発展を社会史的に必然とする見方はむろん成立つけれど、その必然は多くの可能性の犠牲の上に、始めて実現されたものだ、ちょうど個人の一生が現実に辿った行路は彼が他の可能性を捨てた結果であるように》(批評の使命)
それからしばらくして中村光夫は小説を書きはじめる。自分の捨てた「他の可能性」を試したかったのかもしれない。
何かを選択すれば、何かを失う。失った可能性のことを忘れながら、生きているようなものだ。選択によって、自分のおもいどおりの人生を作るのはむずかしい。
才能とは、適切な選択や決断ができることかもしれない。その選択か正しいかどうかはすぐにはわからない。軽はずみや勘違いの選択、あるいは人にいわれるがままの選択であっても、選んだことには変わりない。
文学にかぎらず、何かしようとおもってはじめる。あとはそれが続くかどうか。
いろいろな可能性を試したい気持もあるが、そうすると、今度はなにもかも中途半端になってしまうのではないかと不安になる。
中村光夫が「文学と世代」で、長生きしてりっぱな仕事をした人の「思想」と「信念」の話も、結局、持続の問題とつながってくる。
《自分が自分であるという気持、これは別にエゴイズムでも傲慢でもなくって、ほんとうのところ、そうなんだから仕方がないという気持、そういうものを持つことが必要じゃないかと思うのであります》
五十歳前の中村光夫は、若いころは無限に何でもできそうだとおもっていたが、もはや「偉大な芸術作品」みたいなものを残すことはできそうにないとかんじている。それでも「自分が自分である」という信念を持とうとする。
この文章を読み、わたしは「尾崎一雄の私小説みたいだな」とおもった。
《「こんなことをして小説を書いたとて、それが一体何だ」そう思うと、反射的に「いや、俺はそうでなければいけないんだ」と突き上げてくるものがある》(尾崎一雄『暢気眼鏡』新潮文庫)
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「思想」と「信念」のことを考えつつ、尾崎一雄の随筆をパラパラ読みはじめる。
『わが生活わが文學』(池田書店、一九五五年刊)に「気の弱さ、強さ」という随筆がある。
尾崎一雄の縁類の画家にSというそろそろ四十になろうという男がいる。このごろ、仕事がうまくいかないと悩んでいる。Sは素直な男だ。尾崎一雄は、Sの気立てのよさに好感をもっているのだが、その性格が仕事上のわざわいにもなっているのではないかと考える。
《Sは、友人や先輩に自分の仕事を批評されると、それをそのまま受入れる。批評は、ほめられるよりも、くさされる方が多いらしい。くさされると、Sは、なるほどと思ひ、その点を直さうとする。それまでの自分の方針を否定して、やり直したりする。
私は、そんなことをしてゐたら、キリが無いんぢゃないのか、と考へる。批評する人は一人ではない。いろんな人にいろんなことを云はれ、それをいちいち、もつともだ、と思つて、相手の批評、あるひは忠告通り、自分の仕事を直さうとしてゐたら、結局何もできなくなつてしまふではないか——とさういふことをSに云つてやつた》
そしてSは「なるほどさうですね」とうなづく。そうやってすぐ人のいうことにうなづいてしまうことが問題なのだから、すこしは抗弁したらどうなんだ、と尾崎一雄は歯がゆくおもう。
《独自の作風を打ち出した作家は、他人の云ふことなど気にしない、あるひは鼻であしらふ一面を有つてゐると思ふ》
これもまた中村光夫の「自分にとにかく絶対のもの、何がきてもびくともしないだけのもの」をつかまなきゃいけないという話とつながる。
頑固に自分を貫けばいいという話ではない。忠告を受け入れるにせよ、ただただ素直にそれを聞くのではなく、抵抗すべきところは抵抗しながら自問自答し、ほんとうに納得のいった意見だけを「選択」する必要がある。
……もうすこしこの話は続けたいのだが、疲れたので寝る。