2008/03/10

もやもや

 ふらふらと自転車で高円寺の北口をまわる。金曜日に続いて、また西部古書会館の古書展に行く。初日は三百円以下の本を買いすぎて疲れてしまった。最終日の日曜日に、買おうかどうか迷っていたちょっと高い(といっても千円くらい)の本を買った。

 その本は山口剛著『紙魚文学』(三省堂、一九三二年刊)である。尾崎一雄の先生ですね。買った理由はそれだけ。『虫のいろいろ』に「山口剛先生」という短篇がはいっている。放蕩していたころの尾崎一雄のことを「ヤケくそはいけないよ、卑怯だからね」とやんわりたしなめた先生だ。

 ずっと食えなかったころ、わたしは尾崎一雄を読んで生活を立て直そうとおもった。
 文学にはそういう力がある。どうしたらいいのか、わからないときに、真剣に本を読むと、かならず、そのとき自分が必要としている言葉が見つかる。
 ここのところ、そういう信念が弱っていた。おもしろい本がないのではなく、切実に読んでいなかっただけなのだ。ただ、目で活字を追っているだけでは素通りしてしまう言葉をつかまえる。つかまえてはじめて、その言葉に作者のおもいがつまっていることがわかる。

 最近そういう本の読み方をしてない。

 さっき買物中、道に自転車を止めていたら「ここに自転車を置くな。撤去するぞ」とおじいさんに怒鳴られる。焼鳥を買うほんのちょっとのあいだ、自転車を止めていただけで、そんなに怒鳴らなくてもなあとおもう。怒鳴った相手は店の人ではなく、ただの通行人だ。釈然としない。
 たまにはそういうことがある。慣れていないので、けっこう後を引く。だんだん腹が立ってくる。もやもやする。
 こんなことを一々気にしていたら、身がもたない。忘れるにかぎる。

……掃除しよっと。