2008/03/19

りっぱな仕事

 中村光夫の『想像力について』は、考える材料の宝庫のような本だと書いた。ただ、この本におさめらた文章の多くは、ある人物による批判への反論の形で書かれたものなのだが、わたしはあえて論争の要素を無視して読んだ。今、自分の考えたいことを考えるのに、この論争の部分はちょっと邪魔だったのだ。

 この本の巻頭の「文学と世代」は、世代論からはじまる。ある時代にすぐれた仕事をした作家は、かならず次の世代に批判される。だからといって前の世代がくだらないとはかぎらない。
 また文学の歴史を見ると、子どもが親の世代を不当なくらい批判するが、孫は祖父の時代を賛美する傾向があるらしい。
 中村光夫はあるていどの齢になって、自分の限界、自分の命の短さを意識するようになってから、いろいろなことがわかってきたという。

 人生をどうやったら一番りっぱに生きられるかということには「現代もヘチマも」ない、われわれにとっての真剣な問題だと述べ、それから「長生きしてりっぱな仕事をしてきた人」のことを分析しはじめる。

《長生きしてりっぱな仕事をしてきた作家は、必ず何度も何度も、いわば世間から生き埋めにされたような目にあって、その生き埋めの運命に堪えてまた復活しています》

 この「生き埋め」という言葉は、森鷗外が二葉亭四迷の追悼文でつかっていたのだそうだ。
 鷗外も、文壇から疎外されていた時期があった。永井荷風もそうだった。
 武者小路実篤も昭和の初め「非常にひどい生き埋め」にあった。
 新しい村の運動が失敗し、人道主義は古いといわれ、かつては拝むようにして武者小路実篤の原稿をもらっていた出版社が、原稿を持ち込んでも載せなくなった。
 それで武者小路実篤は、大衆雑誌に二宮尊徳や孔子の伝記などを書く。それからまた復活した。

《こういうふうに、生き埋めという運命に堪えるということをやった人、これをやるだけの何か自分の身についた思想というものをつかんだ人、こういう人たちがほんとうに意味のある仕事を、明治以来の文学で残してきた。さっき私が言いました自分にとにかく絶対のもの、何がきてもびくともしないだけのものを、自分の生活に関しては、つかまなきゃいけないが、それと同時に、この生活、こういう自分の信念が、必ずしも世の中に受け容れられるとは限らない、だから他人がどう考えるということは、自分にはどうにもできないことだから、それに対しては寛容になろう、その代り自分の信念は動かすまい、こういうふうに、今あげたような作家はみんな考えていたと思うのです》

 生き埋めだけでなく、生前はずっと評価されず、没後何年も経ってから復活する作家もいる。やっぱりそれも「これをやるだけに何か自分の身についた思想」をもっていた人なのだとおもう。
 ではそうした「思想」や「信念」は、どうやって身につけたのか。
 それが知りたい。その中身も知りたい。中村光夫はそういうことをあんまり説明しない。
 自分で考えるしかない。わたしが身につけたもの、動かすまいとおもっているものは何だろう。
 ひとつは仕事がいやになるような仕事はしないということである。
 いやな仕事をしないというのは、なかなかむずかしいのだが、結局、そういう仕事は続けられない。どうすれば、仕事がいやにならないか。
 希望をいえば、休み休み、充電しながら、仕事を続けたい。古本屋通いができないほど忙しくなると、ほんとうに仕事がいやになる。
 何があっても本を読む時間と睡眠時間は確保する。あと家事を手ぬきしない。
 いろいろ考えているうちに、「思想」や「信念」よりも「生活」や「寛容」という言葉のほうが大事なような気がしてきた。

 中村光夫の結論らしきものとは、違うのだが、それはいずれまたの機会に。