池袋往来座「外市」の売り上げ対決でわめぞ絵姫の武藤さんに負けて、石田千さんの『山のぼりおり』(山と溪谷社)の刊行記念トークショーのとき、古本酒場コクテイルで飲み放題ということになった。コクテイルなら、五千円くらいにしかならんだろうとタカを括っていた。トリス一杯二百五十円、料理もほとんど五百円以下。客のほうが心配して「値上げしたら」と気をつかうような店なのだ。
ところが、ムトー画伯の飲み代は九九〇〇円。今年十年目を迎えるコクテイルにおける、ひとりのお客さんの飲み代としては空前の記録だという。
『山のぼりおり』は、飲み仲間の好青年、五十嵐雅人さんの単行本初仕事。著者も編集者もカメラマン(坂本真典さん)も、みんなからだを張って、汗を流して、寒さにふるえて、共同作業で作った。装丁は緒方修一さん。
わたしも山のぼりをすすめられたのだが、人一倍寒さに弱いので無理かも。でも富士山の山小屋の主人がいった「へとへとになったときに、見つかる答えというのがあるんです。登山は、じっくりと考えたり発見したりするいい機会なんです」という言葉には、かなり魅かれるものがあった。
あと山で食うラムネ(駄菓子)は、うまいそうだ。お試しあれ。
山と溪谷社のホームページにイベント三連発&三月二十七日(木)の「石田千×佐々木美穂さんトークショー」の告知が出ています。
※http://www.yamakei.co.jp/event/event080320.html
それから四月九日(水)〜二十日(日)に大阪の「いとへん Books Gallery Coffee」で開催の「日曜おんな 武藤良子展」の告知も。
※http://www.skky.info/itohen/gallery/mutoh.html
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翌日、仕事の帰りに早稲田で途中下車、古書現世に寄って、ムトー画伯の食いっぷりの件で向井さんに愚痴をこぼす。
本を数冊買う。そのうちの一冊は、中村光夫の『現代作家論』(新潮社、一九五八年刊)。
ちょうど『想像力について』(一九六〇年刊)のすこし前の本を読みたいとおもっていたところだった。
「書き込みがあるからこれはいいですよ」とおまけしてもらう。そういえば、わたしが持っている中村光夫の本は線引き本が高い。
さっそく高田馬場の行きつけの喫茶店のエスペラントで読む。
『現代作家論』の「作家論について」は、まさに「ここいうのが、読みたかったんだよ」とおもっていた文章だった。
《四十歳が批評家にとって大きな迷いの齢であることはたしかなようです。青年時代は僕等はひとからあたえられてすますことができるが、老年は自分でつくらねばなりません。この移りかわわりの時期に、批評家の経る危機が他の文学者より深刻なのは、元来が他人のことをあげつらうのが商売である僕等が、いやでも自分というものにぶつかり、それを処理することが迫られるからです》
わたしは今年三十九歳、来年四十歳になる。正直、今までの仕事の仕方(本を読んで文章を書く)に、迷いが出てきている。できれば本に頼らず、もっと自分の言葉で書きたいとおもうようになったきた。
中村光夫を読みはじめたとき、なにかそのためのヒントがあるかもしれないという予感があった。
ただ、あまりの知識、教養にひるんだ。なかなか性格もつかめず、読めば読むほど、遠い人におもえた。
《やりきれなくなるのは、日々需要があるがままに書いている時評、解説などの雑文がはたして自分の仕事といえるかどうか、いかに生活のためでもそういうことに残り少い生涯の時間を費やしてよいものか、二葉亭の言葉をもじって云えば、「文芸批評は男子一生の事業なりや」という疑問が心を曇らしがちなのは、どの職業にもある中途の迷いというものなのでしょうか》(「作家論について」)
中途の迷い。おもいあたることがありすぎる。
山に登って、人生を考え直したい。