昔から小食なのだが一日四、五食分けて食う生活だ。先日テレビを見ていたら、そのほうが太らないらしい。ただし内蔵に負担がかかるため疲れやすいとも。
常々健康情報はあんまり信用してはいけないと自戒しているのだが、たしかに太らないけど、疲れやすいというのはほんとうかもしれない。
たいした運動もしていないのに、疲れている。
だらだらと神田の古本まつり、京都百万遍の古本まつりなどで買った本を読む。
中村光夫の『文學論』(中央公論社、一九四二年刊)もその一冊。この本の中に「知識と信念」という文章がある。読んでいて、いろいろ考えさせられた。
文末には、昭和十六年十一月「文藝春秋」とある。日米開戦直前の文章である。
防空訓練のことにふれ、「むろん空襲を徒らにおそれるのは、殊に我國のやうな場合には過りであらう。都市を空襲されたとしても、それで死ぬのはよくよく運の悪い者だけだとは、實地に空襲の洗禮を受けた人々が誰しも云ふところである」と中村光夫は述べている。
自分のような凡人は、明日も一年後も自分の命が続くことを信じていないと、生活を営んでいけない、常に死を念頭に生きることは、容易に行えることではない、だからといって、死という事実は消え去るものではないという。
《現代の戦争は人類にとつて疑ひなく、大きな不幸ではあるが、その僕等の平素忘れがちな厳粛な眞實を、絶えず否應なく意識させてくれる點で、僕等の思想にとつては、或る何物にも代へ難い恩恵を與へてくれるのではなからうか》
そして戦時下における知識人の意味を考える。
《もとより死を輕んずるのは武人の業であらう。文學者は——というより普通の人間は——正常な意味で死を恐れねばならぬと僕は信じてゐる。だが僕等が平素身につけたと信じてゐる知識や教養が、果たしてその期に及んでどれだけ自分に役立つか。いひかへれば僕等は本當に自分の死場所と云へるところに生きてゐるか》
そう自問しつつ、こんなたとえ話をする。
カントの哲学を講じ衣食の道を得ているだけの人と、カントに傾倒して自分の生きる道を見出している人が、平素の無事な時代であれば、両者は同じ哲学者であると信じていられるだろう。
生計を得るか否かというだけでなく、自分の生死をかけられるものかどうか。
それが戦争によって明らかになるはずだ……。
《僕の希ふところは、社會に對して文學の専門家顏をすることより、飽くまでかうした自己の知的本能に忠實に生きることである》
《現代の日本文化の混亂は、おそらく東洋にも西洋にもかつて類例のなかつた異様なものである。しかも僕等はこの混亂のなかで、少なくも次代に生きて育つべき眞の文化の種子を蒔いておかなければならないのである》
好戦とか反戦とかそういう話ではない。
明日無事かどうかわからない時代になったとき、いかなる生き方をすべきか。
次代のために文化の種子を蒔かなければならない。
日米開戦直前、三十歳の中村光夫はそんなことを考えていた。
戦争ということになると、どうしても好戦か反戦かと考えがちだけど、いずれにせよ自分はやりたいことをやり続けるという考え方もあっていいとおもう。
もちろん戦争になれば、それどころではなくなるかもしれない。そうであっても、同じ命をかけるのであれば、命がけで国のために戦う(あるいは反戦運動をする)より、命がけで好きなことをやるという考え方もあるわけだ。
天下国家なんか関係ない。いや、天下国家なんか関係ないという人を許容できるような世の中であってほしい。
そういうことがいえない世の中よりはいえる世の中のほうがいい世の中だとおもう。
(なんで今わたしはこんなことを書いているのだろう。現実逃避か……)