福田恆存の評論か座談会かで、文学の魅力は作家の「精神の緊張度」にかかっているという意見があったのをどこかで読んだことがある。
それ以来、ときどき、この言葉の意味を考えている。
文学にかぎらず、音楽、絵、あるいはスポーツも、「精神の緊張度」が魅力の根底にあるようにおもう。
どれだけ本気で自分の限界に挑むか。よりよいものを目指すか。自分に何を課せばいいのか。「精神の緊張度」には波があって、それをコントロールするのがむずかしい。
同じようなことを続けていると「精神の緊張度」が弱まってくる気がする。
このところどうも必死さ、切実さ、そういうものが不足している気がする。平和だからか。齢のせいか。
たとえばプロ野球選手と高校球児でいえば、プロのほうが技術は上だが、一試合一試合の「精神の緊張度」は、負ければ後がない高校球児のほうが高い。プロの消化試合よりも、アマの試合のほうがおもしろいことはよくある。
それだけではない。
そんなに単純な話ではない。
(……続く)