自分が「欠陥車」であると自覚せずに、急発進や急ブレーキをくりかえしていれば、どこかで故障する。体力がないのに力まかせの「フォーム」を身につけようとしてもうまくいかない。
色川武大の「フォーム」と「セオリー」は「こうすればうまくいく」とか「ギャンブル必勝法」といった類の話ではない。
くりかえし語られているのは、誰にでもすぐできるようなやり方は通用しないということだ。
プロ同士の戦いではお互い「セオリー」を熟知しているから、武器にはならない。
「セオリー」を知らずにゲームに参加にすればカモにされる。つまり「セオリー」はカモにならないための最低限の知恵といってもいい。
そして勝負どころは「セオリー」の先にある。
もちろん基本は大事だ。しかし基本に忠実であることが、かならずしも自分に合うとはかぎらない。たとえば、その投げ方だと肩を壊すという助言されたとしても、人によっては自分の投げ方以外の投げ方をすると、どこにでもいる凡庸なピッチャーになってしまうこともある。
もともと身体能力が高ければ、基本通りのやり方も立派に通用するだろうが、そうでなければ、何か工夫しないといけない。
フリーランスの場合、ひとりの依頼主が「だめ」といっても、どこかで「それもありかな」といってくれる人がいれば、仕事は成立する。手っ取り早く仕事をするには、あるていど万人受けする「フォーム」も有効かもしれないが、その道は競争が激しいし、能力差がモロに出る。
いわゆる「欠陥車」タイプは、その道を避けたほうがいい。
変則派には変則派の「セオリー」と「フォーム」がある。
森高夕次原作、アダチケイジ画『グラゼニ』(講談社モーニングコミックス)の三巻にこんなシーンがある。
主人公の凡田夏之介は変則派のピッチャー(中継ぎ投手)で、あるときフォームを改造し球威がアップする。その分、コントロールが乱れるようになって、大事なところで打たれてしまう。
その結果、自分のプロとしての生命線はスピードではなく、コントロールだと痛感する。
このエピソードは色川武大の「セオリー」と「フォーム」の話にも通じるとおもう。
ひとつの欠点を改めると、別の欠点が生じる。
短所を直して、長所を失う。
だからこそ、自分の生命線となる能力を見極める必要がある。
(……続く)