2014/01/04

才能とは?

 今年初の西部古書会館。本が安くなった。昔、二千円くらいで自分が買った本が百円、二百円。それでも売れ残っている。ちょっと悲しい気分だ。

 年明けから、テレビを見て、漫画を読んで、ぐだぐだすごしている。サッポロビールのCMがよく流れる。妻夫木聡の「大人のエレベーター」シリ−ズの総集編——。
 その中に北野武に「才能とは?」とたずねる回がある。
 北野武は「どの仕事を選べばいいのかわかる人は才能がある(とおもう)」と答える。

 自分に合った仕事を選ぶ。それが何かはむずかしい。
 単に好きなことをすればいいというものではない。好きなものにも適性がある。どんなに好きでも、競争がものすごく激しく、限られた人しかその席に座れない仕事もある。
 適切な仕事の選択をして、一生にわたって創意工夫を続ける覚悟を持てるかどうか。他人から否定されても「自分は才能がある」とおもい続けることができるか。
 自分に足りないものをどう補えばいいのか。

 北野武というか、ビートたけし自身が本で語っていたことだけど、才能は「時代」にも左右される。
 ツービートが活躍していた時代と今とでは漫才やお笑いの裾野の広さがちがう。だから、今はかなりの技術があっても、突出するのはむずかしい。

 そういうことは他のジャンルにもいえるだろう。
 漫画家もそうだ。トキワ荘の時代なら高校を卒業して(もしくは在学中から)、プロになることは珍しくなかった。今でも不可能ではないが、現在の日本の漫画の平均水準を考えると、極めて困難だ。

 プロとアマの話をいえば、プロの場合、その職業に求められる平均水準の能力だけではなく、「+α」が問われる。逆に突出した「+α」があれば、平均水準の能力は「最低限」でもどうにかなる。

「+α」は、一言で説明するのはむずかしいのだけど、「独自性」や「希少性」に基づいた能力と考えてもいいかもしれない。
 色川武大はフリーランスとして生きていくには「極め技」がないと厳しいという(「極め技」があったとしても「運」に左右されるというのが色川・阿佐田哲学なのだが……)。

 しかし今の世の中は「最低限」の水準が上がり、「極め技」が通用する期間が短くなっている。

 新年早々、そんなことを考えていた。

 あいかわらず睡眠時間がズレまくる。正月ボケも治らん。