秋山駿の『私の文学遍歴』の中で、石コロのことをずっと考えているうちに音楽が鳴ったという話を紹介した。
いい話のように紹介したが、一歩まちがえば……ちょっと危ない。
受験勉強していたころ、この不毛な時間を早く終わらせて、本が読みたい、音楽に浸りたいとおもっていた。
その後、独学の研究によって、そういう精神状態だと、成績が上がらなくて当たり前だということがわかった。
こんなことをやっていても無駄とおもいながら勉強しても、ちっとも頭に入らないし、血肉にならない。
深夜にラジオを聴いていて、知らない洋楽が流れ、肌がぞわっとなったり、後頭部の上のほうがしびれたりした。
そうなると、もうだめだ。他のことは考えられない。ラジオに耳を近づけ、今流れている歌詞やメロディを脳裏に焼き付ける。ヘタすると、誰の曲なのか、何ヶ月も何年もわからないことがある。
その間、自分の記憶の中の曲を反芻し続ける。
歌詞はわからない。ただ、「Poetry Man」という単語だけは聴き取れて、「詩人」のことを歌った曲だということだけはわかった。
当時のわたしは詩の話のできる友人がいなかった。詩が好きであることは恥ずかしいことだとおもっていた。
だから「詩人」のことを歌っている人がいることを知って、うれしかった。
今聴いてもフィービー・スノウの「Poetry Man」は、文句のつけようのない名曲だとおもう。
秋山駿の『私の文学遍歴』は、石コロの話のあと、中原中也の話になる。
小林秀雄と中原中也を比較し、「中原中也の詩のほうがほんとうの知性であると、私は思っています」と語る。
《Q どこか、向こう側に行っちゃった人間いるじゃないですか、おしまいになってしまった人間。中也はそういう人間なんですよね。われわれ、常識の世界にとどまって努力している人間とは、やはり違う。超えていますよね。
秋山 なかなか行けないぞ、向こう側には。超えられないよ》
そして「中也の詩が好きになるっていうのは、つらいことなんでね」という言葉が出てくる。
《中也はわれわれの生き方と違いますよ。中原中也の考え方で生きれば、みんな繁栄しない。終わりになっちゃう、そういう人だから、大変でね。小林秀雄は、中原中也がいたから良かったんだ。あんな人がそばにいて、自分を批判していたら、努力するほかないよ、もう》
秋山駿と同時代のインテリのあいだで中也の評判はよくなかった。
《そういう人たちは、「知性がないからさ」と言う。よく喧嘩しましたよ。でも、つらいんだよ、絶対こっちのほうが不利だなと思ってね》
中也では理論武装できない。論争になると負ける。
論争で負けても詩の精神みたいなものは受け継がれる。笑われたり、恥ずかしがられたりしながら残る。
そういう詩もある。