2014/03/09

フォームとセオリー その四

 三月になったので、冬眠解除のつもりで気合をいれていたのだが、気温の変化にからだがついていかない。数日前、腰にピリっとした痛みが走る。腰痛の兆候だとおもい、ひたすら安静を心がける。

 自分が「欠陥車」であるという前提で考え、行動することを心がけはじめたのは、二十代のころだ。
「欠陥車」であることを意識すると、無理がきかない分、自分の操縦にかんして、注意深くなる。年々、体力や気力その他は衰えてきているが、安全運転の技術だけは熟達してきているとおもう。

 あと「フォーム」に関しては、いつでも「ここに戻れる」という場所があるといいかもしれない。

 気力体力がピークのときの「フォーム」ではなく、好調でも不調でもなく、その中間あたりの状態を基本にする。
 そういう思考になったのは、(自分比で)低迷期に無理をしたり、焦ったりしても、たいして効果がないということを学習したからだ。

 色川武大は『うらおもて人生録』の中で、「フォーム」を別の言葉でいいかえている。

《人間は、結局、ここだけは死んでもゆずれないぞ、という線を守っていくしかないんだ。
 その、ここだけはゆずれないぞ、という線を、いいかえれば、自分の生き方の軸を、なるべく早く造れるといいんだがなァ》(「球威をつける法——の章」)

・自分は、どういうふうに生きたいのか。

・自分は、こういう生き方だけはしたくない。

 そうしたおもいがその人の「固有の軸」になる。この「固有の軸」をもとに、自分の生き方を造っていくこと。

 それが色川武大の「セオリー」であり、「フォーム」といってもいい。

 誰もが、そういう生き方をしたほうがいいとはおもわない。「固有の軸」に殉じる生き方は、融通がきかない。だからこそ、色川武大は別の章で「ちゃらんぽらん」になれることも大切だといっている。

 これまでうまくいった「フォーム」も続けているうちに、なかなかよい結果が出せなくなったり、不調が続いたりすることもある。

 その場合、どうするか。色川武大は、簡単に変えないほうがいいという。
 今回、『うらおもて人生録』を読み返していて、わたし自身、迷っていた。
 昔とちがって、今はひとつの「フォーム」でやっていくことがむずかしくなっているのではないかと。
 そういう懸念もなくはない。
 自分の基本、持ち味を失わないまま、新しい技術を身につけることは、むずかしい。
 だしの取り方をちょっと変えるくらいが理想なのだが……。

 それより、着地点が見つからなくて、いつも文章を尻切れトンボで終わらせてしまう「フォーム」を直したい。

(……とりあえず、完)