年末の土日、西部古書会館。そのときそのときの関心や体調によって買う本も変わってくる。何がしたいのかわからなくなったとき、買った本に教えられることもある。
古本ではなく、昨年、新刊で買った本だが、山本周五郎著『また明日会いましょう 生きぬいていく言葉』(河出書房新社)を再読する。
《十二月になると一日一日に時を刻む音が聞こえるようである》(年の瀬の音)
《また年末が来たには閉口する》(歳晩雑感)
周五郎先生の年末随筆、いいぼやき節だ。
「無限の快楽 書物と人生」という随筆を読み、「周五郎流の読書こそ自分の歩むべき道だ」と目の前がぱっと明るくなった気分になる。
《私の読書は無系統で乱脈で、まったくもう(妄)読というにひとしいが、学者になるわけではないから、好きなものを読むという自由だけ確保してゆくつもりである。特にこのごろは自分の生涯の「持ち時間」が少なくなりつつあるので、読むにも書くにも、その時間とにらみ合わせるようなぐあいだから、どちらも「好きなもの」を選ぶ、という自由と権利は譲りたくない》
その日読みたいものを読む。すこし前に自分の「偏り」みたいなものが気になって、もうすこしバランスをとるようにしたほうがいいのではないかと悩んでいた。しかしバランスをとることにエネルギーをつかいすぎて、読みたい本すら読めなくなるのはまちがった生き方といえる。今年やろうとおもってできなかったことがいろいろあるが、気にしないことにする。