2019/08/12

五分の理

《あの戦争は別に悪かったわけじゃないという理屈はいくらでもありますよね。日本って国は近代化をあわててやって、とにかく生き残ることに成功して、要するに西洋の植民地主義を真似しただけであり、他の連合軍であるイギリスとかフランスとかは植民地主義の面では札つきだったわけですし。だから理屈では合理化できると思う。そもそも理屈ってのは「泥棒にも三分の理」というくらいなんだから、普通の人だったら五分の理くらいまで持っていけるもんですよ。だからそういう眼で見てしまえば全部間違ってしまう》(「〈戦争〉と〈革命〉が終った時代へ」/菅谷規矩雄、鮎川信夫の対談/『すこぶる愉快な絶望』思潮社)

 ここ数日、鮎川信夫の「そういう眼で見てしまえば全部間違ってしまう」という言葉の意味を考えていた。

「(日本だけが)悪かったわけじゃない」というのは戦後ずっと多くの日本人の中にくすぶっていた気分だとおもう。でも当時の多くの日本人は戦争はもうこりごりだという気持やアジアの国々にたいして後ろめたさもあった。戦争に負けた以上、大っぴらに「五分の理」を主張するのは気が引けたとおもう。戦時中の日本が行ったといわれる「蛮行」や「戦争犯罪」にしても事実とそうでないものはあるだろう。当時の記録の中にも事実もあれば、捏造もある。戦争初期と後期でまったく事情が変わってくる。

《いろいろあって何が真実かわからないとき、大衆の好むものが真実になる。大衆は、自分にとって、最も面白いことや都合のよいことを真実にしたがる》(「信ずべし信ずべからず」/古山高麗雄著『反時代的、反教養的、反叙情的』ベスト新書)

 親日国の人たちの「日本の統治のおかげで豊かになった」という言葉を聞けば、わたしも悪い気はしない。いっぽう日本によって凄惨な目に遭った人たちの話を聞いたり、読んだりすると、申し訳ない気持になる。

 都合のいい史実だけを並べて「自分たちは間違ってなかった」という結論を出すのは、たぶん間違っている。