日曜日、暑くて頭が回らない。やる気が出ない。昼すぎ、西部古書会館。街道本三冊。千円。土鍋でメシを炊き、カレーを作る。橋本治の『思いつきで世界は進む』(ちくま新書)を読み返す。
わたしの優先順位としては、仕事や生活のことが大半を占め、残りは趣味といった按配なので、政治について考える余力がほとんどない。だからなるべく信頼できる人の意見を参考にしたいとおもって本を読む。
鮎川信夫がそうだし、それ以降は橋本治がそうだ。
《世界中には、いろいろな時計がある。近代という時代を示して引っ張って来たヨーロッパ製の時計は、ネジが切れたのか、もう先を示せなくなった。「ヨーロッパに於ける極右勢力」というのは、進んで行く「近代」の時計の陰でおいてけぼりを喰らわされていた、同じ国内の「周辺の土着」だろう彼等が、遅れていた「自分達用の時間」を進めるために、新しい時計のネジを巻き始めたというのに近いはずだ。
かつては「後進国」として取り残されていた国々が、経済発展のおかげで「先進国並」を当たり前に主張する。でもそれが実現されたら、多分、地球は過飽和状態でぶっ壊れる。今や、それを知るのが「先進国水準」なのだけれど》(「時間は均一に進んでいないの?」/『思いつきで世界は進む』)
同時代でも、それぞれの国、あるいは人が過ごしている時間はちがう。今の時代にも中世みたいな考え方をする人はいくらでもいる。気にいらなければ、倒せばいい——といった言動をする人間は二十一世紀の日本にも当たり前に存在する。でもさすがに同じ国の人間同士が戦をしていた時代に戻りたい人はいないだろう。いないとおもいたいのだが、自信はない。
何かを嫌いになるためにつかう時間があるなら、好きなことをしたい。