《最近は情報だけが溢れかえって、いろんな意味でものが見えなくなってきている。価値の均等化、平等化があらゆる分野ですすみ、よほどフンドシを締めてかからなければ、認識を誤り、選択を誤るということになりかねない。このことは、知識人の問題であると同時に、ジャーナリズムの問題でもあり読者の側の問題でもある。
では、どうすればいいのか》
一九八四年十一月の「『ベ平連』はどこへ行った」というコラムで鮎川信夫はそう問いかけた。
《アメリカ人を嫌うのは勝手である。外国人なんて、それほど好きになれるものではないからだ。しかし、アメリカ人が寄りつかなくなれば、だんだん自由もなくなることくらいは知っておいていい》
親米と反米——わたしはしょっちゅうそのふたつのあいだで揺れている。アメリカは正義のごり押しをする。怖い国だとおもっている。しかし敵対陣営も怖い。ようするにどっちも怖い。
三十五年後の今はテレビ、新聞、雑誌にくわえ、インターネットの情報も加わり、何が正しいのか判断に困ることが増えた。
年々自分の社会分析と周囲とのズレが大きくなってきている。政治に興味のないフリをして黙っている。