青春18きっぷで京都に行こうとおもっていたが、台風が来そうだというので迷っているうちにお盆になってしまった。
部屋の掃除をしながら、山本夏彦の文庫をいろいろ読み返す。
《隠居とはむかしの人はうまいことを考えたものです。親は未練を断ち切って、家督を子に譲って以後いっさい口出しをしません。こうして十年たてば子は三十代になって、親が口出ししたくても今後は出せなくなって、自分は全き過去の人になったと知って安心して死ねるのです。
これを新陳代謝と言います》(「人間やっぱり五十年」/山本夏彦著『つかぬことを言う』中公文庫)
隠居とまではいかなくても、もうすこしのんびり暮らしたいとおもっている。しかし「人生五十年」といわれても、いざ五十歳(ちかく)になってみると、精神年齢は三十代半ばくらいの気分だ。三十年前、ライターの仕事をはじめたころ、同業者の最年長は四十歳くらいだった。書く仕事よりも、雑誌のブレーンや最終稿をまとめるアンカーといわれる仕事をしていた記憶がある。
すこし前に就職氷河期の人の就労支援のニュースがあった。今、四十歳前後の人たちは就職難だった。
二〇〇〇年代のはじめ、大きな書店に行けば、三十歳以下はみんなアルバイトといったかんじだった。図書館の司書の平均年齢が五十代という記事を新聞で読んだ。団塊の世代、あるいはバブル期に社員をとりすぎて、そのしわよせを若い人たちが食らった。
山本夏彦著『かいつまんで言う』(中公文庫)に「これを新陳代謝という」というコラムがある。
内容は「人間やっぱり五十年」とほぼ重なっている。
《隠居するというのは、昔の人の叡知で、爾今自分は現役ではないと友人知己に声明して、口出しすることを自らに禁じたのである。そして五年たち十年たって、なお生きていれば、今度は口出ししたくても出せなくなって、文字通り過去の人になるのである。
薄情のようだが、これが自然なのである。新陳代謝といって、古いものは去らなければいけないのである》
さらに「こんなことを言うのは、寿命がのびたから定年をのばせという説があるからである。それはむろん老人の説で、若者の説ではない」と綴る。
あらゆる分野で新陳代謝の失敗が蔓延している。シルバー民主主義を批判する若者たちもいずれ年をとる。
わたしも老害といわれる日が来るだろう。
その前に隠居したいのだが……。