先週の土曜日、昼前、西部古書会館に行ったら休み。うっかりではなく、古書即売展一覧(紙)では開催の予定になっていた。そのまま大和町まで散歩する。マスクに色付きのフェイスガードをつけて自転車に乗っている人がこちらに向かってくる。どこを見ているのかわからず、左右どちらに避けていいのかわからなくて困る。スマホを見ながら自転車に乗っている人もよく遭遇する。危ない。
高円寺の北口に賞味期限切れ間近の商品(インスタントコーヒーや粉チーズなど)やお中元お歳暮の売れ残り商品などが格安で並んでいる小さなスーパーがある。コロナ禍中、都内では入手難のコーミソースも売っていて、三本買った(今は売っていない)。さらに散歩コースの他の店では寿がきやのインスタント麺が売っている店がある。
……とここまで書いて中断。
日曜日、首を寝ちがえる。軽度だが、痛いは痛い。二、三日は痛み止めと神経痛を緩和する作用があるといわれるビタミン剤を交互に飲み、気休めに鎮痛消炎剤を塗って安静あるのみ。といっても簡単な家事や資料の整理など、日常の細々としたことをやっているほうが気がまぎれて痛みを忘れる。布団の上で痛みの少ない姿勢を研究したところ、仰向けになり、右手を上、左手を横にするポーズが楽なことがわかった(薬のことも含め、すべて個人の感想です)。
昨年の春、五十肩になったときはあらゆることに難渋した。立ったり座ったり、服を着たり脱いだりするだけでもつらかった。スナック菓子の袋、ペットボトルの蓋をあけるのも大変だった。それに比べれば楽。楽だが、痛い。体のどこかに不具合があると思考がほとんどそれに奪われる。つくづく若くて健康というのは才能の一種だとおもう。二十代のころの体力があれば、何でもできるんじゃないかと……。酒飲んでゲームしていた時間を取り戻したいと悔やんでも時は戻らず。
尾崎一雄の代表作ともいえる「虫のいろいろ」に神経痛などの痛みのことを書いている箇所がある。
《神経痛やロイマチスの痛みは、あんまり揉んではいけないのだそうだが、痛みがさほどではない時には、揉ませると、そのままおさまってしまうことが多いので、私はよく妻や長女に揉ませる。しかし、痛みをこうじさせて了うと、もういけない。触れば尚痛むからはたの者は、文字通り手のつけようが無い》
痛みへの対処の仕方はむずかしい。温めたほうがいいのか冷やしたほうがいいのか、いまだにわからない。昔、寝ちがえたときに低周波の治療器をつかって、余計に症状が悪化したこともあった。
「痩せた雄鶏」でも持病の肋間神経痛の痛みのことを書いている。若いころに読んだときは神経痛の箇所はピンとこなかったけど、今は深く共感する。年をとるのも、体が痛いのもわるいことばかりではない。
《その痛みは、多くは冷えと湿気によって誘発されるようだ。過労も勿論いけないが、病人たることを一寸の動きにも思い知らされつけた緒方の起居には、時たま、のっぴきならなくて書く原稿の仕事以外には、過も労もないのだった》
四十歳を過ぎたあたりから、毎年のようにわたしは腰痛やら寝ちがえやら膝痛で体がおもうようにならない経験を積んだおかげで、その対処法を学べた。
中年になると、初日より二日目三日目のほうが痛みがひどくなる……ことがよくある。これが意外と精神面にくる。明日はもっとひどくなるのではないか。そう考えてしまうと気持がどんどん沈んでくる。
つらいときこそ、希望を持つことが大切だ。すこしずつよくなる。昨日より今日のほうがマシになる。一進一退だが、回復の途上にいると信じる。
金曜日の夜、まだちょっと首が痛い。でもかなりよくなっている。