先週日曜日に首を寝ちがえて十日ちょっと。完治とまではいかないが、痛みはずいぶん軽くなった。寝起きから一時間くらいまではつらいが、しばらく動いて体が温まってくるとだんだん楽になる。
今回の寝ちがえは三、四日目が一番きつかった。麺をすすったり、肉を噛んだりするだけで痛みが走った。ドアノブや蛇口をひねる動作もつらい。手さげを肩にかけたり、リュックを背負ったり、ふだん無意識にやっている動きの中にも危険が潜んでいる。
一行書くたびに痛みで思考が止まる。この一週間ずっとそんな感じだった。頭で考えたことを腕と手をつかって文章化する。書くことが頭に浮んでも首が痛くて腕がおもうように動かないと文章がどんどん消えていってしまう。座業も体が資本だと文字通り痛感した。
平日の夕方、ラジオを聴いていると神経痛、リウマチの漢方のCMが頻繁に流れる。尾崎一雄の「虫のいろいろ」に出てくる「ロイマチスの痛み」のロイマチスはリウマチのこと。「痩せた雄鶏」では神経痛の痛みを「烈震、激震、強震、弱震」とたとえている。
激震になると「冷えた手足を縮め、自分の胸を抱き、うめいている外に法はないのだ」と綴り——。
《それが、強震となり、弱震にまで来ると、甚だ快適な気分になる。痛みが弱まったということもだが、それよりも弱まりつつある、という意識の方が、はるかな喜びなのだ。そうして、あれほどの痛みが、うそのように治まった時は、非常な幸福感を覚える》
当時、尾崎一雄は四十九歳。
一九四四年八月、四十四歳のときに胃潰瘍で昏倒——郷里の下曾我に帰り、第一次生存五ヶ年計画に入る。「痩せた雄鶏」は生存五ヶ年計画の五年目の作品である。
わたしは基本不健康だ。元気な日が少ない。体を冷やさず、疲れをためず、調子がよくないなりにだましだましやっていくしかない。