今のところ都内の感染者数は少なめで町の活気も戻ってきた。夜になっても人がたくさんいる。一時期は午後九時すぎで町が暗く、歩いている人も少なかった。コロナ以前は日付が変わるころよく飲みに行っていた。町中、酔っ払いだらけだった(わたしもその一人である)。
郷里にいたころ、夜七時にはほとんど店が閉まってた。道が暗くて夜は怖かった。もともと歩いている人が少ないから、車もかなりスピードを出す。ここ数年、帰省したときはLEDのヘッドライトを手に持って足元を照らしながら歩くようになった。
街道歩きのときも基本は日没までと決めている。
外飲みを控えていた数ヶ月——何てことのない雑談が自分の生活にとってすごく大切だったと痛感した。家で仕事する。本を読む。一人で考える。頭の中がごちゃごちゃしてくる。ふらっと飲み屋に行って常連客と喋る。自分がまともかどうかは別として人と話が通じる。それが嬉しい。おかしなことをいえば、それはちょっとちがうんじゃないかと反応が返ってくる。
どんな人にも常識と非常識の部分がある。その比率は人によってちがう。
わたしは定職に就いた経験がなく、ずっとフリーランスということもあって、非常識の比率が少し高めかもしれないと自覚している。非常識というか、世の多数派とはちがう考え方をしているとおもうことがよくある。多数派が正しいときもあれば、そうでないときもある。それは少数派にもいえる。
かれこれ三十年以上夜型生活を送っているが、すくなくともわたしの体調はそのほうが良好だから間違っているわけではない。間違ってはいないが常識とはズレている。自分はどうにかなっているが、世間の基準とズレていることが多々ある。年々そのズレみたいなものが修正が困難になっている。
今の自堕落な生活を改善したい。自分なりにそういう努力をしているつもりである。その気になれば、今すぐ変えられる(ただし、なかなかその気にならない)。集団はそうはいかない。個人個人のバラバラの生活、人それぞれのバラバラの感覚を調整し、落とし所を決める作業が必要だ。その結果、可もなく不可もなくならまだしも誰にとってもやや不満みたいな状況になりがちである。でもそれでよしとするしかない。
昔からそうおもっていたわけではなく、年をとるにつれ、だんだんそんなふうに自分を納得させるようになった。