2015/09/12

忘れ物

 ひさしぶりの晴れ。神保町を散歩。神田伯剌西爾でコーヒー、小諸そばでから揚げうどん。野球の本と昔の選手名鑑などを買う。夜、飲む。酒、弱くなったかも。

 都内で震度五弱の地震。杉並は四くらいか。床に積んでいた本が崩れる。

 生活の立て直し——も大事だが、たとえば、五年後、今の調子で仕事を続けることができるかと考えると不安がある。

 昔、どこかでプロ野球のピッチャーの決め球には寿命があるという話を読んだ。
 相手もプロだから、当然、何年も同じ球では通用しない。また決め球の威力も二、三年で落ちてくる。

 三割打っていた野手が、翌年二割五分くらいになることがある。弱点を研究されて、そこを攻められているうちに、自分本来の打撃が崩れてしまう。

 スポーツにかぎった話ではないが、現状維持はむずかしい。何かしらの改良を重ね続けないかぎり、現状は維持できないと考えたほうがいい。

 本を読んでいて、お茶を飲もうかと台所に立つ。そのとき、無造作に読みかけの本をどこかに置いてしまう。そのあと続きを読もうとすると、本が行方不明になる。最近、そういうことが続いた。
 部屋から一歩も出ていないし、自分が動いた場所は限られている。だからすぐ見つかるはずなのに、探してもどこにもない。

 以前、古本好きの知り合いが、買ったばかりの本を電車に忘れたという話を聞いたとき、自分にはそんなことは起こらないとおもっていた。今のところ、電車に忘れたことはない。しかし、この先、いつかそういうこともあると覚悟している。

 電車に忘れたことはないが、コンビニに本を忘れたことはある。つい昨日ことだ。
 レジでお金を払うとき、レジの前の小さな出っぱりに本を置いた。商品を受け取り、お釣りを財布にしまう。
 そして、そのまま帰ってしばらくして、本がないことに気づいた。まさか、コンビニに忘れるとはおもわないから、家中、探した。でも見つからない。
 翌日、ダメ元で昨日帰りに寄ったコンビニに行ってみたら、レジの後ろにブックカバーのかかった本がある。
「すみません、本……」
「これですか」
 あってよかった。昨日神保町で買った豊田泰光著『チェンジアップ』(三笠書房、二〇〇〇年刊)だ。もし見つからなかったら、インターネットの古本屋で買い直すかどうか迷っていた。

 たぶん脳の配線がちょっとおかしくなっている。