昨日の夜、ブログを更新したつもりが、されてなかった(たまにある)。
金曜夕方(寝起き)、西部古書会館。『漱石と高浜虚子 「吾輩は猫である」が生まれるまで』(新宿区立漱石山房記念館、二〇一九年)、『夏目漱石 漱石山房の日々』(高知県立文学館、二〇〇七年)、『ふくやま文学館 開館20周年記念 夏目漱石 漱石山房の日々』(ふくやま文学館、二〇一九年)など、漱石関連の文学展パンフを三冊。「漱石+子規」の文学展パンフは何種類もあるが、「漱石+虚子」は珍しい。文学館の企画で「漱石+他の作家」の組み合わせはもっとあっていい気がする。
『夏目漱石 漱石山房の日々』はタイトルと目次の並びが途中までは同じで高知県立文学館版は「第3部 漱石と寅彦」、ふくやま文学館版は「漱石と広島」(寄稿「広島の旧友井原市次郎」瀬崎圭二)となっている。同タイトルの図録は各地の文学館から出ている。都内の古本屋でよく見かける『漱石山房の日々』はB5変型(縦にちょっと細長い)の図録(鎌倉文学館、二〇〇五年、その他)だろう。
寺田寅彦は東京生まれだが、父方が土佐藩の士族の家系で四歳から高知市小津町の家で暮らしていた。そのあと熊本の五高に入学し、漱石と出会う。 地元が高知で熊本の五高といえば上林暁もそう。
『月刊FRONT』特集「寺田寅彦 愉しきサイエンスの人」(一九九六年十二月号、財団法人リバーフロント整備センター)を購入後、ひょっとしたら一九九〇年代に寅彦の文学展があったのではないかと「日本の古本屋」を検索した。すると『開館記念特別展 第一回 寺田寅彦展 内なる世界の具現』(高知県立民俗資料館、一九九一年)があった。注文した。「第一回」ということは他の寅彦展もあるのだろうか。
寝る前に電子書籍で寺田寅彦の随筆「わが中学時代の勉強法」(一九〇八年)を読む。
《故意になまけるというと、なんだかおかしく聞こえるが自分はいやになった時、無理につとめて勉強をつづけようとせず、好きなようにして遊ぶ。散歩にも出かければ、好きなものを見にゆく。はなはだ勝手気ままのやり方ではあるが、こうして好きなことをして一日遊ぶと今まで錯雑していた頭脳が新鮮になって、何を読んでもはっきりと心持ちよくのみ込める》
たぶん寅彦流の勉強法は理にかなっている。勉強だけではなく、仕事もそうだろう。根を詰めてずっと机に向かい続けるより、遊んだり散歩したりしながらのほうが(わたしの場合)捗る。
そのあと「科学を志す人へ」(一九三四年)を読んだ。
《誰であったか西洋の大家の言ったように、「問題をつかまえ、そうしたその鍵をつかむのは年の若いときの仕事である。年をとってからはただその問題を守り立て、仕上げをかけるばかりだ」というのは、どうも多くの場合に本当らしい》
だから学生時代は「一つの問題」に執着せず、「問題の仕入れ」をたくさんしたほうがいい——といった助言をしている。寅彦流の怠けたり遊んだりする勉強法も「問題の仕入れ」につながっていたのではないか。
寺田寅彦は多才な人だった。詩歌、絵、音楽、さらに学問に関しても専門の物理以外に地理学を志していた時期もある。「科学を志す人へ」は寅彦五十五、六歳のときの文章である。翌年十二月三十一日没。享年五十七。