七月。ちょっと前にコタツ布団をしまって夏用の肌掛けを出した気がする。今週はやや夏バテ気味である。人類が働ける気温ではない。
自分の体調のバロメーターはコーヒーがうまいかどうか。味もそうだが、体がカフェインを受けつけないときは要注意だ。今週のはじめコーヒーが飲めなかったので、睡眠優先の生活を送った。昨日あたりから回復した。
先週の土曜、西部古書会館、均一祭(初日二百円)。午前十時に行く。
『司馬遼太郎・街道をゆく」エッセンス&インデックス 単行本・文庫版両用総索引』(朝日新聞社、二〇〇一年)など七冊。「エッセンス&インデックス」は読み物の部分が四百五十一頁、索引が三百十二頁。
「街道をゆく」関係だと「司馬遼太郎『「街道をゆく」人名・地名録』(朝日新聞社、一九八九年)という本もある。「人名・地名録」は『街道はゆく』全四十三巻中の三十一巻までの索引で九百頁くらい。この本も西部古書会館の均一祭で買った。二冊で一・七キロちょっと。重い。
資料もそうだけど図録(街道&地図関係)を買うと置き場所に困る。
物語を楽しむ読書と文章を味わう読書はちがう。『街道をゆく』はどちらでもない。知らない名前、知らない土地が出てくる。それらが頭の片隅におぼろげに残る。知らなかった名前や土地がほんのすこしなじみになる。自分の知っている場所と知らない場所のバラつき――傾向のようなものが朧げと見えてくる。雑駁なままとっ散らかっていた知識がふとした瞬間、何かとつながる。すぐつながることもあれば、五年十年……もっと長い時間かかることもある。
人名にせよ地名にせよ、点と点がつながる感じが好きなのだとおもう。
話は変わるが、昔の作家、あるいは学者は時代なり社会を「文明」という括りで考える人が(今と比べると)多かった。司馬遼太郎の随筆も「文明」という言葉がよく出てくる。
戦後八十年、冷戦後三十数年——今の時代も文明の曲がり角に来ているのかもしれない。時代の評価はその渦中にいるときにはわからないことが多い。
日本の経済が低迷しているのは、政治のせいか、少子高齢化のせいか、グローバル企業のせいか、新興国の追い上げのせいか……おそらく全部絡んでいる。どこの国も混乱している。戦乱がないだけでもよしと考えるべきか。
先が見えない。動き回る体力がない老体は静観するのも一策か。怠ける言い訳か。
2025/07/04
静観
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