2025/11/27

永福町散歩

 若いころは元気いっぱいの日と疲労困憊の日の差が大きかった。その分、気分の浮き沈みも激しく、感情の制御がむずかしかった。年をとると元気な日は皆無となり、やや不調と不調の間を行ったり来たりするようになる。喜怒哀楽そのものが弱くなる。いちおう、自分の場合と付け加えておく。

 十一月二十六日(水)、午後三時半、どこに行くか決めずにふらっと家を出る。ふと永福町に行きたくなった。
 すこし前に地図を見ていて、高円寺と阿佐ケ谷の間にある馬橋通りをそのまま南に歩いていけば、永福町に行けることがわかった。JR中央線の高円寺駅と京王井の頭線の永福町駅は京王バスが走っている。これまでバスとほぼ同じコースを歩くことが多かった。
 エトアール通りを西に進み、馬橋通りを南に行く。青梅街道と五日市街道を渡り、松ノ木三丁目を歩く。神子島米店でサケのおにぎり(ミカンをおまけしてもらった)を買う。神子島で「かごしま」と読む。弁当もうまそう。
 そこからちょっと南に向かうと善福寺川(遊歩道は工事中)があり、大松橋を渡る。

 橋を渡ると大宮夕日が丘広場、和田堀公園観察の森があり、すぐ近くに杉並区立郷土博物館がある。午後四時半。郷土博物館で「特別展 昭和歌謡は杉並から生まれた テイチク東京吹込所物語」(十二月七日まで)を見る。百円。パンフレットも買った。
 テイチク(帝国蓄音器商会)は一九三二年奈良市に設立。同社の東京吹込所は一九三四年杉並区堀ノ内に開設された。
 会場でエト邦枝「カスバの女」、田端義夫、白鳥みづえ「親子舟唄」などの映像を見る。展示されていたレコードジャケットを眺めているだけで楽しい。会期中、もう一回行きたい。
 田端義夫は三重県松阪市出身(一九一九年生まれ)。一九八〇年代半ばごろ、郷里の鈴鹿市内でポスターをよく見かけた。近鉄沿線の小さなスナックでリサイタルをやっていた記憶がある。

 荒玉水道道路をすこし歩いて国府道、方南通りを渡り、大宮八幡前の信号のところの分かれ道の東のほうに進む(西は荒玉水道道路)。家に帰って東の道は瀬田貫井線という名前と知る。そこから南に行くと永福町駅前。前に永福町に来たのはいつだったか。リトナード永福町のカルディに寄り、啓文堂書店永福町店で新刊の文庫をチェックし、三階の広場で南西方面の夕焼けと富士山を見る。
 四階の屋上庭園(ふくにわ)から東京タワー、新宿副都心、ドコモタワーを見る。
 日没になったので夜景も堪能できた。

 キッチンコート永福町店(京王ストア)でインスタントコーヒー、スガキヤの袋麺(三個)、浜松餃子などを買い、午後五時半のバスで高円寺に帰る。永福町〜高円寺間はバスだと二十分ちょっと。徒歩+バスの散歩は面白い。

2025/11/25

幸福な時代

 十一月二十二日(土)、午前中に西部古書会館。『小泉八雲展 ラフカディオ・ハーン 生誕160年 来日120年』(神奈川近代文学館、二〇一〇年)、馬場あき子著『秘宝 三十六歌仙の流転 絵巻切断』(日本放送出版協会、一九八四年)など。他にも小泉八雲展の文学展パンフは何種類かあるが、今のところ未入手。小泉八雲といえば、かつて『日本の面影』というドラマがあった。小泉八雲著『日本の面影』はいろいろな出版社が翻訳し、刊行している。

 今年はイチョウが早い気がする。蓮華寺や馬橋公園のイチョウは葉が黄色くなっていた。大和北公園のイチョウは緑と黄が半々、見頃は十一月末くらいか。
 高円寺徒歩圏内でも樹の大きさや日当たりなどによって、紅葉の進み具合にちがいがある。

 山田風太郎著『コレデオシマイ。 風太郎の横着人生論』(講談社+α文庫、二〇〇二年)の第5章「みんな不平をいうけど、戦後は日本の歴史の中で一番幸福な時代だ。」のところを読む。

《——こういう幸福な時代が長く続くと思いますか。

 うーん、いつまで続くんだろうねえ。結局、日本に軍備を進めさせるのは中国じゃないかと思うんだがねえ。中国が原爆を持つでしょう。日本はそれが不安で不安でしょうがないんです。また中国という国は、露骨に脅すんですよ》

 単行本は一九九六年刊。三十年ちかく前の言葉である。風太郎、七十四歳。

 山田風太郎著『半身棺桶』(徳間文庫、一九九八年、単行本は一九九一年)に「幸福」という随筆がある。

 足を切断した知人、目を焼く手術をした知人が治療を経て、幸せそうな顔をしていたといった話から——。

《敗戦直後、一物もない焦土の中で、ただその夜から電灯をつけられるというその一事だけで、何物にもまさる幸福感にひたったことを思い出した》

 幸福感はつらい状況を切り抜けたときに味わえるものなのかもしれない。いっぽうそこそこ豊かではあるが、じりじりと貧しくなっていく時代は幸福とおもいにくい。

2025/11/22

錦秋

 散歩中、遠くを見ることを意識するようになって、すこし視野が広がった気がする。見るものが変わることによって、自分の行動や思考も変わっていくかもしれない。
 
 毎年この時期、体調が不安定になる。暖かい日から急に寒い日になるのが苦手だ。逆はいいのだが。それでも自分のパターンを知れば、それなりに対処はできる。体を冷やさないこと、余力を残すこと、よく食べよく寝ること。それができれば苦労はない。

 十一月十六日(日)から四泊五日で三重と高松へ。行きは小田原文学館で川崎長太郎展を見て早川駅まで歩き、小田原の漁港を見る。港はいい。海風が気持いい。早川を歩いているうちに元気になる。
 早川駅から熱海駅までは在来線。この区間は東海道本線の中でもとくに好きな車窓だ。相模湾がよく見える。
 熱海駅〜浜松駅間はこだまに乗る。金券ショップの自販機で買った自由席の切符の日付変更に時間がかかり、乗りたかった電車に乗れなかった。以前も同じ失敗をした。数百円の得のために時を失う。急ぐ旅ではないのでよしとする。

 浜松駅から再び在来線で豊橋駅。旧東海道散策のち名鉄で名古屋駅へ。名駅の地下街をすこし歩く。

 午後七時すぎ、近鉄が遅延。電車が混んでいる。鈴鹿に帰る前に近鉄四日市駅で下車してアピタ四日市店でスガキヤまるごとミニセット(ラーメン、かやくごはん、サラダ、ソフトクリーム)。
 アピタ内の食品売り場でビールとおにぎりと唐揚げを買う。郷里の家のもより駅に降りた途端、目のかゆみとくしゃみ……ブタクサか。漢方(小青龍湯)を持っていたのですぐ飲んだ。効いた。
 翌日は母と港屋珈琲でモーニングのち平田町駅へ。鈴鹿ハンターに行く。ゑびすやの天ぷらうどんとかやくごはんのセットを食べる。ハンター内のブックオフに寄る。カレーハウスDONでカレーを買って帰る。この日はのんびりした。

 火曜、朝から近鉄で伊勢中川駅へ。ちょっとだけ旧初瀬街道を歩く。そこから特急で大和八木駅、あと急行で鶴橋駅に行き、阪神電鉄で尼崎駅へ。庄下川公園ですこし休憩し、川沿いの道を歩く。旅の途中、駅を降りてすぐ川がある町に来ると嬉しくなる。

 近鉄と阪神の直通電車のおかげで神戸方面に行くのが楽になった。その分、JRと阪急に乗る機会が減った。尼崎駅から三ノ宮駅。昼一時半ごろ、高速バスで高松へ。バスは二時間二十分。淡路島のパーキングエリアで休憩中、急に雨が降る。

 高松の中央インター南で『些末事研究』の福田賢治さんと合流し、車で高松ぽかぽか温泉へ。ぽかぽか温泉、大いに気に入る。心身の疲れがすっと抜ける感じがした。とくに足の疲れがよくとれる。日々の散歩の効果かどうかはわからないが、足の疲労度に関しては若いときより鋭敏になったとおもう。
 
 翌日、福田さんと小豆島行きのフェリーに乗る(今年二度目)。『些末事研究』の座談会(今年二度目)。にわとりの首まわりの肉をそぐ作業などをした。
 帰りは高松港からすこし歩いた繁華街で飲む。活気のあるいい店だった。夜、仏生山温泉。岩盤浴をしていて寝そうになる。

 十一月二十日(水)、昼前、仏生山駅のあたりを散策し、高松空港まで歩く。讃岐国一宮の田村神社に寄る。滋賀(土山宿)の田村神社と関係ある神社なのかなとおもっていたが、ちがった。神社もおもっていた感じとちがった。なんといったらいいのか、シンプルの逆。
 香川の田村神社に全国の一宮の表があった。歌枕めぐりもそうだが、一宮めぐりという旅のジャンルもある。

 途中、高松空港まで九キロという標識あり。ちょっと寄り道しても空港まで三時間くらいか。琴電の一宮駅近くの団地(不思議な形をしていた)を見たり、香東川の川沿いの道を歩いたり、大野石清水八幡神社に寄ったり、さぬきフラワーガーデンを散策したりして、なんだかんだと五時間以上歩いた。日没には間に合った。

 空港に着くと成田行きの飛行機(二十時四十分発)が三十分遅延。成田空港に着き、急いで京成のアクセス特急に乗る。途中、知らない駅ばかりで不安になる。時間も読めない。最終の電車でどうにか日暮里駅に到着した。そこから山手線で新宿駅までは行けたが、三鷹駅の終電(〇時三十五分)は間に合わず、中野駅から高円寺駅まで歩いた。この日、万歩計の歩数は三万五千歩ちょっと。よく歩いた。

 京成本線の青砥駅を過ぎたあたりで五十六歳になった。

2025/11/14

とちのみ

『本の雑誌』十二月号「特集 オモロイ純文運動!」のアンケートに答えた。三冊の選書中、小説はマジメ、随筆はオモロイみたいなパターンについても考えたが、結局、好きな作家の好きな作品を選んだ。

 火曜日夕方、東高円寺へ。桃園川緑道、ニコニコロード経由蚕糸の森公園。蚕糸の森公園の芝生の上を歩く。樹木も多く池もある。いい公園だ。モミジやイチョウの葉の色づきは日当たりや寒暖差が関係している。

 そのあと三徳新中野店、ピザトースト、武蔵野うどん(生麺)など。

 東高円寺を頻繁に散歩するようになったのはコロナ渦以降である。ニコニコロードのオオゼキ東高円寺店が閉店して二年ちょっと、文房具をよく買っていたコモ・バリエという百円ショップが閉店したのもそのころか、そのすこし前か。

 高円寺の馬橋公園、中野の四季の森公園もよく散歩する。どちらの公園も芝生あり。

 馬橋公園から斜めの道を歩いて阿佐ケ谷方面に向かい、けやき公園(屋上)、それから桃園川緑道を通って高円寺に帰るのもお気に入りのコースだ。散歩のときは体重が足の裏全体にかかる底が平らの靴を愛用している。芝生や土の上を歩くと心地よい。

 水曜日夕方、駅前の高野青果で「そい」の刺身が値引していたので買う。茶処つきじでほうじ茶を買う。

 吉村冬彦著『橡の實』(小山書店、一九三六年)を読んでいたら、「植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である」「いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平凡なやうであるが長生きの道はやはりこれ以外にないやうである」(昭和十年十月十一日)とあった。橡の實は「とちのみ」と読む。わたしは「くぬぎのみ」かとおもっていた。

 この本は没後刊行。吉村冬彦(寺田寅彦)は一九三五(昭和十)年十二月三十一日に亡くなった。享年五十七。「適当に貧乏しながら適当に働く」はいい言葉だ。寺田寅彦は病弱だったにもかかわらず、多趣味かつワーカホリック気味だった。あと貧乏じゃなかった。「適当に」は願望だろう。

 わたしはまもなく五十六歳。三、四十代のころはずっと先のことだとおもっていた還暦が近づいてきた。昔、公園で日向ぼっこしているおじいさんを見て「何を考えているのだろう」とおもったことがある。たぶんたいしたことは考えていない。

2025/11/10

出家が旅

 気がつくと十一月に入って十日。毎日、西部古書会館の均一祭で買った本や図録を読んでいる。日々の読書や経験が自分の中に定着していく手応えがない。ずっとひまつぶしをしている感じだ。

 十一月七日(金)、午前中、横浜。ひさしぶりに黒のスーツ、黒のネクタイ、黒い靴で出かけた。
 新宿駅から湘南新宿ラインに乗る。武蔵小杉駅から新川崎駅の間、雪のかかった富士山を見る。新川崎駅の場所をよくわかってなかった。新川崎駅は南武線の鹿島田駅が近い。鹿島田駅から川崎駅までは三駅あるので歩くと一時間近くかかりそう。新川崎駅の近くは府中街道が通っている。
 夕方、高円寺に帰る。

 十一月八日(土)、昼すぎ、西部古書会館。今週も均一祭だった。『古地図にみる世界と日本』(神戸市立博物館、一九八三年)、富士正晴著『西行 出家が旅(日本の旅人3)』(淡交社、一九七三年)など。神戸市立博物館の古地図関係の図録は充実している。
 神戸に行きたくなる。行くなら二泊くらいしたい。

 富士正晴著『西行』は二〇一九年に同じく淡交社から復刻版も出ている。
 一九七三年版の『西行 出家が旅』のカバー「日本図屏風」は南波松太郎蔵。南波氏は日本屈指の古地図収集家でそのコレクションは神戸市立博物館にある。たまたま買った二冊がそんなふうにつながっている。『古地図にみる世界と日本』で南波松太郎は「地図皿と器物に描かれた地図のいろいろ」という文章を書いている。江戸後期、伊万里焼などの日本図が作られていた。櫛や印籠に描かれた地図もある。地図=紙とは限らない。

 日本の旅人(全十五巻)シリーズは更科源蔵著『松浦武四郎 蝦夷への照射』もよかった。他にも何冊か家にあるはず。

 富士正晴の『西行』を読んでいたら「出家の周辺」にこんな一節があった。

《当時の出家ばやりだったといってよい。
 出家とは現世の規則をいとうて、仏門に入るということだろう。これは原則みたいなものだ。だが、原則があれば、それの応用もある》

 その応用の一つが院政、もう一つが聖(ひじり)になること。仏法に帰すことで自由な身となる。

《志を得ないものにとってこれほどいいことはない》

《しかも、天下を、関所などの通行も自由で、仏を背に悠々と往来できるのである》

 富士正晴の西行論は「旅人」としての考察が中心である。西行の伊勢信仰にも言及している。

 一九七三年版『西行』は巻末の年表も富士正晴の作。二〇一九年版『西行』の年表は著者作成の年表に歴史学研究会編『日本史年表』(岩波書店)、和歌山県立博物館編『特別展 西行』図録などを参考に作成した——とのこと。『特別展 西行』図録も気になる。

 富士正晴は西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」について、「六十九歳の老人がうたった歌としてたいへん美しい」と感想を述べている。わたしが西行に興味を持つようになったのもこの歌がきっかけだ。

 西行と富士正晴は七十三歳で亡くなっている。

2025/11/03

コタツメモ

 十月二十八日(火)、コタツ布団を出す(カバーは前日洗った)。昨年は十一月九日にコタツ布団を出した。今年は十日ほど早い。疲れと寒さに抗わない人生を送りたい。ガマンよくない。
 衣類に関してはざっくり夏用、春秋用、冬用と分けているが、春秋用を着る期間が年々短くなっている気がする。

 週末また雨。神保町の古本まつりに行く予定だったが、駅に向かう途中、小雨が降ってきたので引き返す(雨に弱い靴を履いていた)。「今日はもういいや」と気が変わる。大和町の仕事部屋に寄り、妙正寺川を歩く。川まで十分くらい。若宮あたりまで。

 冬が来る。寒くなる。日照時間も短くなる。夏と秋は夜の散歩が多かったが、冬の間はなるべく陽が出ている時間帯に歩きたい。晴れの日一万歩、雨の日五千歩。何が何でも……というほどの目標ではないが、達成できた日は気分がいい。

 蓮華寺、馬橋公園は紅葉がはじまっている。大和北公園のイチョウは十二月くらいか。年々、川と樹木が好きになっている。

 十一月一日(土)、午後二時すぎ、西部古書会館。均一祭。初日(全品二百円)は図録を買う。『竹内栖鳳展』(朝日新聞社、一九七九年)、『特別展 やまと絵 雅の系譜』(東京国立博物館、一九九三年)、『大写楽展』(東武美術館、一九九五年)、沢田正春著『木曽街道』(木耳社、一九六七年)など。

 文章と音楽は好き嫌いがはっきりしているが、絵の好みはまだ定まっていない。美術館は数えられるくらいしか行ったことがない。街道関係の絵から何人か「いいな」とおもった画家がいるが、惚れ込むところまではいっていない。絵や写真を見ていると、いい気分転換になる。地図もそう。

 二日(日)、三日(祝)も西部古書会館。二日目全品百円、三日目全品五十円。街道関係資料、文学展パンフ、魚や植物の本を買う。たぶん積読になるだろう。

 三日目一冊五十円の棚の本を見る。仕事の資料以外でも何かしらの取捨選択で本を選んでいる。未知の領域をすこし広げたい——そういう前向な気持が自分の中に残っていることに気づく。

 疲れがとれず、やる気がでない。それでも続けられること。自分にとって散歩と読書がそういうものになっている。

 惰性といえば惰性だが、惰性を身につけてよかったとおもえる。どれだけとっ散らかっても、いつかは自分の中でつながる。年をとる楽しみかな。

 大リーグのワールドシリーズ、第六戦も第七戦もすごい試合だった。ちょっとした運で勝敗が分かれた。

 最近、インターネットで本を買ってないのでアマゾンプライムを解約しようとおもっていた。解約しなくてよかった。