気がつくと十一月に入って十日。毎日、西部古書会館の均一祭で買った本や図録を読んでいる。日々の読書や経験が自分の中に定着していく手応えがない。ずっとひまつぶしをしている感じだ。
十一月七日(金)、午前中、横浜。ひさしぶりに黒のスーツ、黒のネクタイ、黒い靴で出かけた。
新宿駅から湘南新宿ラインに乗る。武蔵小杉駅から新川崎駅の間、雪のかかった富士山を見る。新川崎駅の場所をよくわかってなかった。新川崎駅は南武線の鹿島田駅が近い。鹿島田駅から川崎駅までは三駅あるので歩くと一時間近くかかりそう。新川崎駅の近くは府中街道が通っている。
夕方、高円寺に帰る。
十一月八日(土)、昼すぎ、西部古書会館。今週も均一祭だった。『古地図にみる世界と日本』(神戸市立博物館、一九八三年)、富士正晴著『西行 出家が旅(日本の旅人3)』(淡交社、一九七三年)など。神戸市立博物館の古地図関係の図録は充実している。
神戸に行きたくなる。行くなら二泊くらいしたい。
富士正晴著『西行』は二〇一九年に同じく淡交社から復刻版も出ている。
一九七三年版の『西行 出家が旅』のカバー「日本図屏風」は南波松太郎蔵。南波氏は日本屈指の古地図収集家でそのコレクションは神戸市立博物館にある。たまたま買った二冊がそんなふうにつながっている。『古地図にみる世界と日本』で南波松太郎は「地図皿と器物に描かれた地図のいろいろ」という文章を書いている。江戸後期、伊万里焼などの日本図が作られていた。櫛や印籠に描かれた地図もある。地図=紙とは限らない。
日本の旅人(全十五巻)シリーズは更科源蔵著『松浦武四郎 蝦夷への照射』もよかった。他にも何冊か家にあるはず。
富士正晴の『西行』を読んでいたら「出家の周辺」にこんな一節があった。
《当時の出家ばやりだったといってよい。
出家とは現世の規則をいとうて、仏門に入るということだろう。これは原則みたいなものだ。だが、原則があれば、それの応用もある》
その応用の一つが院政、もう一つが聖(ひじり)になること。仏法に帰すことで自由な身となる。
《志を得ないものにとってこれほどいいことはない》
《しかも、天下を、関所などの通行も自由で、仏を背に悠々と往来できるのである》
富士正晴の西行論は「旅人」としての考察が中心である。西行の伊勢信仰にも言及している。
一九七三年版『西行』は巻末の年表も富士正晴の作。二〇一九年版『西行』の年表は著者作成の年表に歴史学研究会編『日本史年表』(岩波書店)、和歌山県立博物館編『特別展 西行』図録などを参考に作成した——とのこと。『特別展 西行』図録も気になる。
富士正晴は西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」について、「六十九歳の老人がうたった歌としてたいへん美しい」と感想を述べている。わたしが西行に興味を持つようになったのもこの歌がきっかけだ。
西行と富士正晴は七十三歳で亡くなっている。