大晦日に風邪をひいて、帰省中止。熱は一日でさがった。
正月を東京ですごすのはひさしぶりなのだが、この三日くらい家から出ずに、テレビを見て、本を読んで、寝てばかりいる。雑炊ばかり食っている。ホホホのホソキ、カカカのカズコのCMが鬱陶しい。
年末から中古CD屋で買ったORPHEUS(オルフェウス)という一九六〇年末から七〇年代はじめにかけて活動したバンド二枚組のベスト盤を熱に浮かされたように聴き込んでいる。
当時、流行したフォークロック(サイケ風)の音なのだが、いきなり円熟の域に達している。ボーカル、コーラスが渋い。難をいえば、印象が薄い。癖がない。ジャケットの写真を見ても、リーダーのブルース・アーノルドは丸顔、メガネ、ヒゲでコンピューターのプログラマーみたいだ。
ひまつぶしがてら、インターネットを見ていたら、DON COOPER(ドン・クーパー)のホームページがあった。一九八〇年代後半に、恐竜の歌や昆虫の歌を集めたアルバム(たぶん子ども向け)を作っていて、最初は同姓同名かとおもったが、声も曲もまぎれもなく、七〇年代のドン・クーパーそのものだった。彼の人生になにがあったのか。でも顔は別人。ふっくらとして幸せそうな顔で笑っている写真を見て安心した。
(http://www.doncoopermusic.com/about.php)
月日が経つと、なぜこの人が売れてこの人が売れなかったのかということがわからなくなる。渦中にいるときはもっとわからない。ちょっとした運不運、タイミングのズレが、気がつくと大きな差になっている。
主流があり、傍流があり、傍流のそのまた傍流があり、そうしたいくつかの流れがある中で、「自分がどこにいるのか」を知る。知らないと流れに乗ることも抗うこともむずかしい。でもいちばんむずかしいのは「自分がどこにいるのか」を知ることか……今年最初の堂々巡り。
古本であれば、一九七〇年代の文学やエッセイというのは、そんなに古いかんじがしない(すくなくともわたしには)。
中古レコードの場合は、レコードからCDにきりかわり、楽器や録音技術の進歩がこの四、五十年で激変した分、一九七〇年代の音楽と今の音楽とのあいだには、けっこう大きな断層をかんじる。
オルフェウスとドン・クーパーは同世代のミュージシャンで音質が似ているとおもう。声、曲調の「陰り」も通じるものがある。その「陰り」が、七十年代か八十年代のある時期に変質した。
話は変わるけど、近い将来、中国の富裕層が中古レコードや古い漫画を買いあさりに来るのではないか。そうなったら、というか、すでにそうなっているという噂をちらほら聞く。
好きな中古レコードや古本が安く買えるのは嬉しいが、所有しているレコードや本がどんどん安くなるのは複雑な気持である。
この数年、レコードが安くなったなあと喜んでいたら、好きな中古レコード屋がどんどん閉店してしまった。
中国の経済成長が日本の中古レコードと古本業界にどんな影響をおよぼすのか、およぼさないのか。それがわたしの生活にどう関係するのか。
新年早々とっちらかったことを書きつらねてしまった。やっぱり病みあがりの酒はまわるね。