2010/01/25

怠け癖

 最高気温が十度以下になる日は、二時間以上外にいると、かなりの確率で体調をくずしてしまう。
 サッカーのカズ選手が休息をとるのも仕事のうちだといっていた。数々のカズ語録の中でこの発言だけはおぼえている。
 常々わたしもそのとおりだとおもっていたからだ。

 自分を甘やかしすぎているという説もあるが、ほどほどの怠惰というのは、人として素晴らしいことなのではないか。何事にもかえがたいものなのではないか。
 しかし、ほどほどを持続することは極めて困難なことでもある。
 つい怠けすぎたり、働きすぎたりしてしまう。

 すこし前の『AERA』に羽生善治さんのインタビューがあった。

《若い時は別に何も考えなくても決断する力ってあるんですよ》

《だんだん経験を積んでいろいろなことを知ると、選択肢が増えるので、最後の決断をする力の比重が大きくなってくる》

 そのため齢をとればとるほど思いきった決断をすることがむずかしくなるという。

《ちょっと粗削りな部分とか、危なっかしい部分は必ず自分の中に持っていないと停滞してしまうので。決まったサイクルの中をただ回るということになってしまいます》

『羽生善治 挑戦する勇気』(朝日選書)でも「経験が常にプラスになるとはかぎらない」という言葉がある。

《たくさんの経験を積み重ねてしまうと、考える材料が増えてしまう。考える材料が増えることで、かえって迷ったり、心配したり、怖いと思ったりする気持ちが働くことも多くなるわけです》

 あまりにも無計画のまま、何かはじめるのはそれはそれで問題があるかもしれないが、情報や経験に頼りだすと、わけのわからないまま行動することがむずかしくなる。もちろん経験を積む中で「粗削り」で「危なっかしい部分」を持ち続けることはもっとむずかしい。つまり、安定志向ではいかんということだ。安定志向になると、すぐに結果の出ないことや失敗のおそれがあることを避けるようになる。

 わたしの場合、まとまらないことを書かなくなる。
 現在、反省中。