2010/02/02

大村君のこと

 尾崎一雄の短篇に「大村君のこと」という作品がある。
 大村君は二十五、六歳の青年。会うなり、N・S先生を紹介してほしいと頼まれる。N・S先生は志賀直哉のことだろう。

「初対面で人柄も何も一切判らぬ人を、ある人へ紹介するといふのは、無理なことではないでせうか」とやんわり断ったものの、大村君は納得のいかない様子だった。

 しばらく大村君は「私」のところに出入りする。大村君は文学や美術について熱く語るが、薄っぺらな意見しかいわない。「私」が体調を崩して、布団で寝たままになっていても、お構いなしに幼稚な質問をくりかえす。
 そのうちN・S先生の家に勝手に伺い、しばらくして「来ても無駄だから」といわれる。N・S先生以外にも、あちこちで出入り禁止になっている。

 大村君は一流好みで自分に芸術の才能があると勘違いしている。芸術家は多かれ少なかれ、そういった気質がある。
 戦後、大村君は郷里に帰り、父や兄が経営している木綿織物の仕事を手伝うようになる。商売は好調で、書画を買い漁り、同人誌のパトロンのようなことをしている。「私」は大村君が地に足のついた生活人になってくれることを望んでいる。

 ひさしぶりに会うと、あいかわらず、大村君は、諏訪根自子のところでヴァイオリンを習いたいなどといいだす。
 当然、「そりや無理だよ」と諌められる。

 やがて商売が不調になり、相手にしてくれる友人知人はほとんどいなくなった。これまで集めた書画を売り払い、食いつないでいる。

《野心と功名心に鼻づらを引廻され、自分では何のことか判らず、がむしやらに右往左往してゐる大村君の様子は、動物や昆虫が、その本能に操られて一途になつてゐる様とひどく似てゐると思はれてならなかった》

 この作品を読んで、大村君には何が足りなかったのかと考える。


(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)