2010/02/11

エレクトロニック・ジャーナリズム

 すこし前に、アマゾンの倉庫で働く人の映像を見た。巨大な倉庫の中をどこに何があるのかを表示する機械(コンビニやスーパーのバーコード読み取り機みたいな形をしている)を手に持ち、その番号にしたがって商品を探す。
 棚には本だけでなく、アマゾンで販売されている電化製品から雑貨まで無秩序に並んでいる。
 著者別や出版社別に並べてあるよりも、どんどん棚のあいているところにモノをいれ、機械の指示で探すほうが効率がいいのだそうだ。

 人間は機械が示す数字にしたがって動く。本も鼻毛切りカッターもぬいぐるみも同じ扱いである。いかに素早く数字の示す場所にたどりつけるか。仕事で問われる能力はそれだけである。
 そのうち商品探索運搬用のロボットが開発されるかもしれない。もしくは倉庫自体が巨大な自動販売機のようになるかもしれない。

 二十年くらい前、かけだしのフリーライターのころ、手書の原稿をワープロで打ち直すアルバイトがあった。たしか一文字五十銭という相場だった。しばらくすると、その仕事は手書の原稿をスキャナーで読み込んで、誤変換したものを直すようになった。
 その後、電子メールで原稿がやりとりされる機会が増えた。

 テープおこしの仕事もずいぶんやった。
 海老沢泰久さんの取材のテープをおこすアルバイトもしたことがある。その報酬でアップル社のノートパソコンとプリンターを買うことができた。

 仕事先ではじめて紀伊国屋書店のホームページを見たとき、あまりの便利さにおどろいた。
 これまである著者の本が何年何月にどの出版社から出ていたかということを調べるのは、かなり面倒な作業だった。著作リストを作るために何日も図書館に通った。それでもわからないことが多かった。
 インターネットですべて調べられるわけではない。でも検索ボタンひとつで大半のことがわかる。この大半のことがわかるのに、かつてはものすごく時間がかかったのである。

 アンディ・ルーニーの〔男の枕草子〕シリーズの『下着は嘘をつかない』(北澤和彦訳、晶文社、一九九〇年刊)に「エレクトロニック・ジャーナリズム」というコラムがある。

《ほとんどの新聞記者はいま、さまざまな形でビジネスに入りこんでくるテクノロジーのことを心配している。オフィスがコピー機器を導入しはじめたときに、カーボン紙の製造業者が感じたにちがいない危機感である》

 新聞はテレビ・ニュースが普及しても生き残った。
 しかし、ルーニーは「もし新聞自体が紙でなくなり、個人の家庭にあるコンピュータのスクリーンに呼び出す画像となる日が来たら、記者たちがこのビジネスなればこそ愛していたものの多くは消えてしまうだろう」という。

 二十年前のルーニーの懸念は、かなり現実化している。

(……続く)