2014/09/30

長野へ

 日曜日、朝五時半に起きて、長野に。長野は小布施の一箱古本市以来だから三年ぶり。

 書店員兼フリー編集者のTさん……本名でいいか……塚田眞周博さん(後藤明生の電子書籍コレクションなどを作っている)の郷里の田んぼの稲刈りを手伝いに。
 すこし前に「半農半筆」のような生活が理想だといったことを書いたら、「稲刈りしにきませんか」と誘ってくれたのである。

 長野といっても、上田のちかく。いいところだった。稲刈りといっても、わたしが手伝ったのは稲架掛け(はぜかけ)といわれる作業。 米を天日干しするために、稲を束ねてひたすら積んでいく。
 親戚の人も来て、作業は昼すぎに終わる。車でちかくの温泉に。入浴料五百円。贅沢。ねずみ大根をしぼった汁にみそをといて食う「おしぼりうどん」もうまかった。

 夕方はしなの鉄道で長野駅に出て、遊歴書房と『街並み』などを刊行しているナノグラフィカを訪ねる。遊歴書房で団地堂をすすめられ、地図に印をつけてもらい、そこで塚田さんの親戚の長野在住のイラストレーターと待ち合わせ。

 あまり時間がないということで、駅前の居酒屋に。そのあとラーメン屋に行って、ハイボールと餃子。塚田さんはガリガリ君サワーを注文していた。
 長い一日だった。長野はまたじっくり散歩してみたい。

 長野市の人口は三十八万人くらいだけど、このくらいの規模の、自然もあって古い町並みが残っている地方都市は暮らしやすそうな気がする。
 たとえば、都心に二時間くらい出てこれる場所(徒歩で生活できる古本屋と飲み屋と喫茶店がある町)を拠点にして、畑(ジャガイモとかネギとか)を作って、にわとりを飼う。余裕があれば、都内に安い部屋を借りて……。
 最近そんなことをよく考える。ただし、候補地が増えてくるにしたがい、しばらくは東京に住んで、ときどき旅行で訪ねるほうがいいのではないかともおもう。

 翌日は午前中に駅まで送ってもらい、上田城跡、小諸の懐古園などに行く。ひとりでぼーっとベンチに座っていたら、年輩の観光客から「写真撮ってください」と声をかけられまくる。
 カフェイン中毒の禁断症状が出てきたので、小諸の喫茶店で珈琲を飲む。小諸は「あの夏で待っている」、上田は「サマーウォーズ」の舞台で、あちこちにアニメのポスターが貼ってある。聖地巡礼に来た人みたいだ。

 小諸から軽井沢に出ると、ちょうど横川駅行きのバスが止まっていたのですぐ乗る。横川は峠の釜飯で有名なところだけど、はじめて降りた。横川から高崎駅。いちど高崎駅の改札を出て「群馬いろは」でうどんやら何やらを買う。

 高崎からは湘南新宿ラインで東京へ。

 現実と向き合わねば。

2014/09/23

休みの日

 日曜日、雑司ケ谷のみちくさ市に行く。これまで副都心線をつかっていたが、JRの目白駅から歩いていくほうが楽なことに気づく。
 野球本を何冊か買って、池袋の往来座に寄る。『詩人 石川善助 そのロマンの系譜』(萬葉堂出版、一九八一年刊)などを買った。帰りはリュックが重くなる。

 石川善助は、仙台出身の詩人。一九〇一年生まれ。職(藤崎呉服店など)を転々とし、二十七歳で上京。生活苦に陥り、三十一歳のときに草野心平の家に移り住む。草野心平の焼鳥屋の手伝いをしていたこともあった。
 一九三二年、電車が通ったときの風によろけて下水に転落して命を落とし、没後、詩集が一冊刊行された。

 わたしは石川善助の詩がよさがよくわからない。でも、友人知人に送っていた手紙はおもしろく読んだ。
 仙台の明治製菓売店で働いていたころ、友人の郡山弘史に宛てて書いた手紙――。

《永い永い間ほんとうに字を書かなかつた。書けなかったのだ。今日も疲れてゐる非常に。(中略)僕は思ふ、僕のくだらない日々の徒労を悲しく思ふ僕の感情と仕事の貴さをわからない社内の人間等が多く如何にあることよ、僕は毎日会社にとまつてゐる、朝は七時から店先のセイリと会計をやる、ひるは雑務(帳面をつけたり、算盤をおいたり)よるは喫茶部へ出て大理石の台の前でコーヒーやレモンテーを出したり、入れたり、新吉の皿皿皿皿の詩があるだろうバケツの中で皿もあらふよ。(中略)でもねむれない、詩を思ふ、友を思ふ、僕を思ふ、僕はいまこの手紙を泣いて書いてゐるのだ、泣いて書いてゐるのだ、兄よ昨年兄とRと僕が一緒に東一番町のカフェーでアイスクリームをたべた時を思ひうかぶのだ》

 行間から、ダメなかんじがにじみでている。愚痴っぽさがすごくいい。そのまま詩になりそうだけど、石川善助の詩は、そういう詩ではなかった。もったいないけど、しかたがない。

 この日の夜は、西荻窪北口のテキーラ専門店フリーダでミックスナッツハウスと金沢のミュージシャン杉野清隆さんのライブ(口笛ふいてやっておいで vol.10)を見た。いいライブだった。酒もうまかった。

2014/09/17

熱海

 十四日、十五日の連休、朝七時に新宿駅からロマンスカーで小田原、それから熱海に。熱海駅のバス停で金谷ヒデユキさんといっしょになり、そのまま熱海港へ。数日前から熱海に来ていた手まわしオルガンのオグラさんたちと合流し、船で初島に行く。

 二十年ぶりくらいに海で泳ぐ。というか、体力が落ちていて、泳げない。水中メガネとシュノーケルと浮輪を借りて、魚の大群を見る。といっても、海に入っていた時間は数十分。あとは岩場で缶のハイボールを飲みながら、ぼーっとしていた。釣り客の姿を見て、もしまた行くことがあったら、釣りをしようとおもった。肌が痛くなるくらいの日焼けする。

 夕方、熱海に戻り、温泉に入って、トランプする。
 翌日、朝から卓球とビリアードをする。動体視力をはかるゲームみたいなのをやったら五十代という判定だった。視野が狭く、端のほうが見えない。
 淡々と書いているが、おもいだすとこれから仕事をするのが、いやになるくらい楽しかった。

 昼すぎにホテルをチェックアウト。熱海のビーチに行く。屋台で焼きそばやビールを買って、ビニールシートを敷いてだらだらと宴会。夜、熱海の花火を見る。花火が降ってきそうなくらい近い。
 花火が終わった瞬間、睡魔に襲われ、ビニールシートの上で寝てしまう。髙瀬きぼりお画伯に揺すられて、自分が寝ていたことに気づく(不機嫌な対応をしてしまったような気がするが、あんまりおぼえていない)。

 この日、東京に帰るつもりだったのだが、飲みすぎて、面倒くさくなって、オグラさんの知り合いの別荘というか仕事部屋みたいなところにお世話になる。
 本がいっぱいある部屋で寝起きにその別荘の持ち主(他界している)の著作を何冊か読んだ。専用の原稿用紙もあった。

 朝、近所を散策する。熱海は坂が多く、曲がりくねった道も多い。道のあちこちから温泉の湯気が出ている。干物を売っている店が多い。ときどき、海が見える。
 おもしろい地形の場所を歩くのは楽しい。海と山が近い場所が好きなのは、祖母がいた伊勢志摩の地形と似ているからかもしれない。
 東京に帰る電車の中、ふと「あと何回くらい海で泳ぐかな」とおもった。花見の季節に「あと何回桜が見れるんだろう」と考えてしまう、あの感覚にちかい。

 自転車の乗り方と泳ぎはいちどおぼえたら忘れないというが、二十年以上、運動らしい運動をしていないと泳げなくなる。

 気持よさそうに海で泳いでいる友人を見て、ちょっと羨ましかった。

2014/09/13

三年半

 一週間があっという間にすぎる。時間が経つのがはやくかんじるというのではなく、一週間という時間の中で「自分はたったこれだけのことしかできないんだ」という気分もある。

 今週、連載の原稿を二本、短い書評を一本書いた。仕事の打ち合わせもした。誇れるような仕事量ではないが、以前と比べれば、これだけずいぶん働いている。そのあいだ、何冊かの詩集と漫画を読み、夜はラジオでプロ野球のナイターを聴いた。二日、外で酒を飲んだ。神保町にも行って、新刊書店と古本屋をまわった。
 食事はほぼ自炊、二日に一度くらいのペースで洗濯もした。ゴミもちゃんと出した。

 そんなかんじで一週間がすぎて、一ヶ月がすぎ、一年がすぎてしまう。

 今年の秋で四十五歳になる。あとどれくらい仕事ができるのだろう。遊べるのだろう。高円寺で暮らせるのだろう。

 東日本大震災から三年半、そして9・11同時多発テロから十三年——。十三年前でさえ、ついこのあいだのことにおもえたり、三年半前がずいぶん昔のことにおもえたりする。

 十三年前といえば、わたしは独身だった。高円寺にいて、今と同じくフリーライターをしていた。
 それからいろいろ本を読んだり、おもしろい人と会ったり、世の中のこともすこしは考えたりしてきたけど、「何もできないわけではないが、できることは限られている」という実感は深まるばかりだ。

 震災後しばらくは都内でさえ、原発事故の影響がどのくらいあるのかわからなかった。
 今でも、確信をもって安全だといいきる自信はない。大きな震災と原発事故が起きても、日本は世界有数の豊かな国であり、治安に関してもかなり恵まれた国である。水や食べ物だって、安全なほうだろう。

 でも今後はわからない。人口が減って、地方の過疎化も進み、今より格差は広がっていくだろう。
 自分の仕事もどうなるかわからない。出版界がどうなるかもわからない。

 ここ数年、わたしが理想の暮らし方としておもいえがいているのは「半農半筆」の生活である。
 半農の「農」の部分は別に「農業」でなくてもいい。収入の半分くらいを別の仕事で稼ぐことができれば、今の仕事が半分になってもどうにかなる。

 逆に収入が半分になるかわりに、仕事の時間も半分になって、残りの時間でいくらでも副業してもかまわないというオプションがあれば、そういう働き方を選ぶ人もいるとおもう。

 ひとつの会社、ひとつの職種をまっとうする(依存する)という道だけでなく、もうすこしいろいろなことをしながら適当に食べていける道があってもいい。

 そのためにはもうすこし「身軽」になる必要もある。

 どうやって身軽さを保つかという問題もある。

2014/09/10

拡散と集中

 三十歳以降、なんとなく、このままではいけないとおもって、これまでやってきたことをいくつかやめた。

 漫画をあまり読まなくなったし、そのころから音楽に関しても新譜をあまり聴かなくなった。おもしろい漫画、音楽を探すという行為は、それなりにエネルギーがいる。

 ライターの仕事のうち、何割かそういうおもしろいものを探すことも含まれているのだけれど、何でもかんでも手をひろげてしまうと、中途半端になる。

 一日をどうつかうか。何をして何をしないか。
 好きなことばかりもやっていられない。あるていど、やることの優先順位をつけないといけない。そうすると、どうしても仕事に直結しやすいことを選びがちになる。頑なに「これしかやらない」と限定していく過程で、柔軟性のようなものが失われてしまうこともある。自分の知らないことに無関心になる。

 とはいえ、あまりにも好き嫌いがバラバラのままだと形にならない。形にするということは、いろいろなことを捨てたり削ったりしなくてはいけない。ただ、狭く絞り込みすぎると、行き詰まりやすいし、他人から理解されなくなってしまう。

 興味のあることに集中する時期、拡散する時期——どちらも必要なのかなとおもう。

 今のわたしは拡散の時期なのだが、いつまで続くかわからない。また気が変わって、狭く絞りこみたくなるかもしれない。

2014/09/08

夏葉社まつり

 土曜日、荻窪ルースターノースサイドで開催された夏葉社まつりに行く。『あしたから出版社』(晶文社)を読むと、もともと作家志望だったと書いている。人口における割合では、作家よりも編集者のほうが少ない。しかもひとりで会社を作り、(売れるかどうかわからない)本を出し続けている人はすごく稀少だ。
 もっと島田さんみたいな人が出てきたら、出版や本の世界はおもしろくなるだろう。安易にすすめられる道ではないのだけれど。

 というわけで、夏葉社まつりに古本バンドのメンバーとして参加した。ベースを弾くのは二十年ぶり。最初の練習では電池が切れていて、音が出なかった。自分の持っているベースがそういう構造だということも知らなかった(ちなみに、このベースは手まわしオルガンのオグラさんからもらったもの)。結成して一ヶ月で人前で演奏するのは「無理だ」とおもった。
 今さらながら「練習と本番はまったくちがうな」と。素人はひとつ躓くとその後の修正がきかない。何度か経験していたことだけど、忘れていた。とにかく終わってほっとした。

 この日、コクテイルで何度か聴かせてもらっていた世田谷ピンポンズをはじめて生で聴いた。ややかすれてふくらみのある声が心地いい。
 木山捷平の本の題をつけた曲もあった。新しいものと古いものが混在しているかんじがおもしろい。

 それにしても大盛況だった。夏葉社五周年おめでとうございます。

2014/09/03

惑星のさみだれ

 午前中に目がさめたので、ひさしぶりにカーテンを洗う。汚れがひどく、他のものといっしょに洗えない。あといっぺんに洗うと干す場所がなくなる。先に洗ったカーテンが乾くタイミングで残りを洗う。面倒くさいけど、たまに洗うと気分はすっきりする。

 月末の仕事が一段落し、漫画をまとめて読む。ようやく水上悟志の『惑星のさみだれ』(全十巻、少年画報社)がキンドルで読めるようになった。巻が進むにつれて、どんどんおもしろくなる。
 あいかわらず、漫画にかんしては「今さら?」といわれるような作品ばかり読んでいる。キンドルを買う以前は、(置き場所がなくて)巻数の多い漫画はなかなか手を出せなかった。『惑星のさみだれ』がこんなにおもしろいと知っていたら、特例で買っていたのだが……。

 地球の存亡をかけた戦いにまきこまれたふつうの大学生が主人公の話なのだが、ファンタジーの要素とは別に、「大人」とは何かというような問いがあって、わたしも「かくありたい」とおもうような「大人像」が描かれている。できれば、もうすこし若いころに読みたかった。

 作者のことが気になって、「東京漫画ラボ」というサイトの「第31回 水上悟志先生インタビュー」も読む。

《少年画報社「ヤングキングアワーズ」よりデビュー、『惑星のさみだれ』、『スピリットサークル』等の作者水上悟志先生インタビュー!日常と非日常、シリアスとコメディ、リアルとファンタジーの境界を軽々と飛び越えていく、作品制作を支える原動力のルーツを探りました!》

 このインタビューもよかった。