鶴見俊輔、関川夏央著『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)を再読する。
鶴見さんは、岩明均の『寄生獣』に大感激したと語るところがあるのだが、そのときの言葉がすごい。
《鶴見 これを読んでいるうちに、心臓麻痺が起こって死んでもいいと思って読んだ。
関川 大袈裟だなぁ。
鶴見 ほんと、ほんと。命賭けて読むのでなければ読書とはいえませんよ。たかが漫画、そんなものじゃない、私にとっては》
——命賭けて読むのでなければ読書とはいえない。
わたしは携帯電話(スマホ)を持っていない。パソコン(電子書籍も)も家の外に持ち出したことはない。
郷里に帰省中、今、パソコンがあったら、電車の時刻表や乗り換えがすぐ調べられて便利だろうなとおもったが、なければないでどうにかなる。電車が来なければ、周辺を散策すればいいだけだ。
わたしがコンピュータを買ったのは一九九八年一月、インターネットに常時接続できるようになったのは二〇〇二年である。
そのあたりから時間の細切れ化がはじまった気がする。
命賭けて読む……ほどではなかったが、二十代のころは飲まず食わずで本を読み続け、立ちくらみすることがよくあった。若かったからそういうことができたのか。そうではない。覚悟の問題だ。