2020/11/11

井伏鱒二展

 毎日睡眠時間がズレる。いつになったら生活のリズムが戻るのか。ライターの仕事の場合、絶不調でさえなければ、どうにかなることも多い(小さなミスは増える)。
 土曜日、夕方四時すぎ、西部古書会館。未見の街道資料を何冊か。適当に手にとった随筆もパラパラ見ていたら街道の話が出てくる。
 日本の地理も歴史も知らないことばかり——勉強時間が足りない。

 日曜日、高円寺から歩いて杉並文学館へ。準常設展で「井伏鱒二と阿佐ヶ谷文士 風流三昧」が開催中(十二月六日まで)。大宮八幡宮、和田堀公園を通って阿佐ヶ谷へ。十四、五キロ歩いたか。 阿佐ヶ谷文士の文学は近所の散歩がそのまま作品の世界につながっている。 

 家に帰って杉並区郷土博物館発行の『生誕百年記念特別展 井伏鱒二と『荻窪風土記』の世界』(一九九八年)をパラパラ読む。そのあと『荻窪風土記』(新潮文庫)を再読する。

 一九五八年一月、井伏鱒二は腹膜炎で二十日あまり入院する。退院後、井伏鱒二はこんなことを考える。

《自分は以前のまま、身すぎ世すぎのこういった稼業をしている存在である。作品というものは、偶然どんなに巡り合わせがよくて、あるいは出来栄えのいいものが書けたにしても、満点の作品ということはあり得ない。まして巡りあわせのいい偶然など一度もなく、今後ともその機会の来る見込みはないと仮定する。
「そうだ、絵を描くことにする。自分の一番やりたいことは、絵を描くことだった」》

 還暦ひと月前に井伏鱒二は天沼八幡通りの新本画塾に通いはじめる。画塾には六年通った。しかし描けば描くほど自分の絵が拙くなる。それで絵を諦める。さらに釣りもうまくならないとぼやく。

《自分にとって大事なことは、人に迷惑のかからないようにしながら、楽な気持で年をとって行くことである》

 将棋と釣り、絵や骨董などを愛しながら井伏鱒二は九十五歳まで生きた。日本の作家の中でもかなり恵まれた人生を送った人物かもしれない。