日曜、起きたら午後三時。午後五時、選挙に行く。自民党大敗。自民・公民が過半数割れ。ここまで議席を減らしたのは意外だった。
今の世相を知る手がかりのひとつとして、選挙の結果を分析するのは面白い(自分の分析が正しいとはおもっていない。予想も当たらない)。
国民民主党の(とくに比例票の)伸び方を見ると、自民党は嫌だけど、安全保障などに関しては現状のままでいい——みたいな層の受け皿になりつつあるのかなと。
有権者における高齢者の増加が政治にどんな影響を与えるのか。
自分の親(八十代)を見ていると、何十年と慣れ親しんできたものが変わってしまうのは、かなりのストレスになっていることはわかる。五十代のわたしもそうだ。この先どんどんそうなる気がしている。
普及すれば便利になる、効率がよくなるといわれても、人生の残りの時間が少ない身からすると、これ以上、新しいことを覚えたくないのだ。使いこなせるようになるまで、自分が生きているかどうかわからない。だったら、今のままでいい。わたしもそういう感覚がわかる年になってしまった。
迅速に制度を刷新したい層からすると、現状維持を望む層は邪魔で仕方がないだろう。
今年の春、パソコンを十年ぶりに買い替えた。かなり不都合が生じていても、古いパソコンを使い続けてきた。原稿を書くときに利用しているテキストエディタを変えたくなかったからである。OSをバージョンアップすれば、ソフトも新しいバージョンに変えなくてはならない。新しいソフトに追加された機能をつかうことはほとんどない。前のほうがよかったと不満がつのる。そんな自分のあり方を省みると、今回議席を増やした立憲民主党の党首の「紙の保険証」発言をバカにできなくなる。
「これまで通り」を望んでいる人はおそらく数千万人という単位でいる。それが今の日本である。ただ「これまで通り」を望む人ばかりだと社会は停滞してしまう。それでも徐々に世代交代していくだろう。ゆるやかに社会は変わる。半年ちょっとで、わたしは新しいパソコンに慣れた。もう古いパソコンに戻ることはない。今月、マイナンバーカードも電子化した。