2024/12/20

成長の罠 その三

 月曜、阿佐ケ谷散歩。南口のパールセンター商店街のしまむらで長袖のヒートテックもどきを買う。パールセンター、いつの間にかOSドラッグが開店していた。今年十一月一日にオープンしたようだ(インターネット調べ)。阿佐ケ谷のOSドラッグは、中野店や高円寺店より広く、洗剤などの種類も多い。夕方、けやき公園の屋上から新宿の夜景を見る。ドコモタワーも見える。

 水曜、神保町。澤口書店で『推理街道三十五年 松本清張展』(朝日新聞社、西武美術館、一九八五年)、一誠堂書店で『別冊かまくら春秋 特集 鎌倉文庫』(かまくら春秋社、一九八五年)を買う。『別冊かまくら春秋』の鎌倉文庫特集号は、はじめて見た。澤口書店の二階で温かいカフェオレを飲む(五百円以上買うとドリンクチケットがもらえる)。

 塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』(編集グループSURE)は二〇一三年刊。刊行から十年以上の時を経て、この本の中で何度となく語られている日本社会の問題がより明白になってきたようにおもう。

 欧米の先進国に追いつけ追い越せ期の日本はとても優秀だった。国内の消費も活発で、人口ピラミッドでいえば、老人が少なく、子どもが多い三角形だった。東西冷戦期に「平和」を享受できたことも大きい。

 一九六〇年代と今の日本の社会状況とはちがう。もはやキャッチアップ期のやり方は通用しない。教育の分野も同様である。

《先に言いましたように、日本はキャッチアップ期の人材養成は非常にうまくできた。キャッチアップ時の人材養成というのは、簡単に言うと底上げ教育です。身につけるべき能力は、早分かりの能力です。先進諸国の事例を見て、大きな方向性を決める。決めた後は、衆知を絞って、改善・改良に取り組む。そういう場合、みんなの水準が高いのがいいのです》

 日本よりも進んでいるとおもわれている他国の教育にしても、その国の上澄みのごく一部で国全体としてはそこまですごくないということもよくある。たとえば、日本の高校教育を視察にきた人が、大阪の履正社高校と大阪桐蔭高校の野球部を見て「日本の高校生はみんな野球がうまい」と錯覚するようなものだ。

 いまだに文化に関してもキャッチアップ期の影響が残っている。「遅れている」われわれは「進んでいる」海外(といってもごく一部)の人々の価値観を学ぶ必要がある——という考え方がそうだ。

 国際社会の先頭集団に属している国は、どこもかしこも五里霧中というか、わかりやすい目標のようなものはない。この世のどこかに正しい価値観やライフスタイルがあるというのは幻想にすぎない。トップに追随し続けるのもしんどいし、常に脱落の不安を抱えている。

(……もうすこし続ける)