深夜、早稲田通りを散歩して馬橋公園。真っ暗な中、誰かがギターを弾いている。演奏はつっかえつっかえだったけど「川を見に行こう」といった感じの歌詞が聞こえてきた。オリジナルなのかカバーなのかはわからない。わたしも川を見たい。
十月十八日(土)、午前九時ごろ、目がさめる。ブリュワーズ対ドジャースのリーグ優勝決定シリーズを見る。一回表大谷翔平投手が三者連続三振の後、その裏に大谷翔平選手が先頭打者ホームラン。ここで打ったらすごいなとおもっていたら、本当に打った。二本目のホームラン、味方の選手たちが「信じられない」みたいなポーズで頭を抱えている姿も印象に残った。「まさか、もう一本打ったりしないよな」とおもっていたら三本目……。
相手の投手も失投といわれるような球を一球も投げていない。すごい、すごいけど、現実感がない。
試合を見終えて西部古書会館。先週の日曜日に買った分もまだ読んでいない。先週は『江古田文学』特集「辻まこと 没後四半世紀」(二〇〇一年冬号)、『芭蕉の生涯展』(山寺芭蕉記念館、一九九六年)、『歴程の軌跡展』(いわき市草野心平記念文学館、二〇〇八年)などを買った。帰ってきて夕方まで二度寝。寝ても寝ても眠い時期が続く。
あいかわらず図録ばかり買っている。意識が散漫なとき、図録の頁をめくる。何かを調べるとかでもなく、ただ見ている。文章を読む。絵を見る。音楽を聴く。自分の中でどこか重なっている。
『芭蕉の生涯展』の山寺芭蕉記念館は山形市にある。JR仙山線の山寺駅がもより駅。同パンフの「一日十里」(森川昭)というエッセイを読む。
江戸の旅人は一日十里(約四十キロ)くらい歩いた。
芭蕉が伊賀、大和、近江、大垣、名古屋を漂泊する『野ざらし紀行』の旅に出たのは一六八四(貞享元)年、四十歳。『おくのほそ道』の旅は一六八九(元禄二)年。四十五歳。この旅でも一日十里近く歩いている。
芭蕉は四十半ばにして、いきなり一日十里歩けるようになったわけではない。ずっと歩いていた。歩くことが当たり前の生活だった。あと当時の粗食(食習慣)は長距離歩行に適していたという話をどこかで読んだ。
わたしは毎日一万歩(雨の日は五千歩)を日課にしている。一万歩で七キロくらい。用がなくても歩く。そのうちコンビニやスーパーまでの歩数、家から公園や神社まで何歩くらいかわかるようになった。今つかっている万歩計は一週間分の歩数も表示される。週五、六万歩。十里くらいは歩いている。
気分がのらないときでも歩いているうちに体が軽くなってきて「もうすこしいける」とおもえてくる。この感覚を仕事にも活かせないかと考える。